この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

めし

  製作:1951年
  製作国:日本
  日本公開:1951年
  監督:成瀬巳喜男
  出演:原節子上原謙島崎雪子、二本柳寛 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    岡本家の飼い猫
  名前:ユリ
  色柄:茶白のブチまたはキジ白のブチ??
  その他の猫:屋根の上の通りすがりの茶白のブチ
  (モノクロのため推定)

人目には幸せに見える夫婦に訪れた危機。妻の願いとは? 夫の心とは?


◆発車オーライ

 この映画の前半、大阪観光の遊覧バスの場面で、本物のバスガイドさんの名調子が流れます。
「こうして一つのお車にお乗り合わせになりましたのも、何かのご縁かと存じます」
独特の節回しは、人の注意を惹きつけて離さないものがあり、ウキウキした気分を盛り立てます。これは町の騒音や車の走行音にかき消されないために工夫された話し方なのではないでしょうか。
 成瀬巳喜男監督の映画では、高峰秀子はとバスのガイドを演じる『稲妻』(1952年)や、田舎の路線バスを舞台にした『秀子の車掌さん』(1941年)があります。小津安二郎の『東京物語』(1953年)でも、原節子の演じる二男の妻が義父母とはとバスに乗って東京観光する場面がありましたね。
 ああ、また、旅に出かけたくなってきた。

◆ストーリー

 大阪市内のはずれに住む岡本初之輔(上原謙)と三千代(原節子)夫婦は、周囲の反対を押し切って5年前に結婚したが、日々の暮らしに精いっぱい。子どもはなく、倦怠期にさしかかっていた。そんなある日、初之輔の姪の里子(島崎雪子)が、縁談を嫌って東京から家出、突然三千代たちの家に転がり込む。里子は初之輔に恋人のように甘え、初之輔も里子を甘やかして、三千代は不愉快になる。ある日、三千代が同窓会に出かけて帰ると、夕食の支度を頼んだはずの里子が何もせず鼻血を出して寝ており、初之輔と二人きりで部屋にいた様子。家事に明け暮れる毎日と、里子と夫に疲れた三千代は、里子を東京に送り返しがてら、川崎に近い実家に行ってしまう。
 妹夫婦と母(杉村春子)の暮らす家で、久々に羽を伸ばす三千代。こちらで仕事を見つけて自活しようと考えるが、戦地に行ったまま夫が帰らない旧友と出会い、子どもを抱えて女一人で生きる現実の厳しさを知る。里子と東京まで乗った列車で一緒になったいとこの一夫(二本柳寛)と外出して、就職口を頼んだりしていると、これから箱根に行こうか、と誘われる。やんわり断る三千代の胸に「不幸な奥さんに見える」という一夫の言葉が突き刺さる。
 ある晩、またしても里子が三千代の実家に泊めてくれと転がり込んでくる。翌朝、里子は、一夫と江ノ島に遊びに行った、一夫と結婚しようと思う、とはしゃいで三千代に話す。
 里子を家に送り届けて三千代が実家に戻ると、入り口に見慣れた初之輔の汚い靴があった・・・。

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◆名優ユリ

 「ユリ」という名のこの映画の猫。70年前の飼い猫としてはキラキラネームだと思いますが、ちょっと貧相で名前負け気味。始まって間もなく、三千代がエサをやっていますが、鰹節をかいてご飯にかけただけの「猫まんま」の様子。たんぱく質が必要な猫としてはこれでは栄養不足で、なんとなく元気がなさそうに見えるのは、この猫まんまのせいでしょうか。いまはカリカリだとかちゅーるだとか、猫の健康に配慮したフードやおやつがよりどりみどり。それはそれとして、昔の猫たち、削りたての鰹節を味わっていたなんて、逆に贅沢ではありませんか。
 映画が始まってすぐ、三千代が表に向って「ユリ、ユリ!」と呼びかけます。映ったのは屋根の上の猫。実は、この屋根の上のユリと、室内シーンのユリは、別の猫です。ユリが登場するのは12回。うち、屋根の上のシーンは2回ですが、屋根ユリは室内ユリよりちょっと大きく、背中のブチもはっきりしています。室内ユリは、耳のところとしっぽに色(グレーのキジ?)がついている以外はほとんど白の子猫です。屋根の撮影と室内セットでの撮影が別の日時や場所だったので、それぞれ別の猫がユリ役としてスタンバイしていたのだと思います。

 ほんの子猫のユリですが、この映画でとても重要な存在となっています。手ごたえのない夫、生きがいのない生活に悩む三千代の、唯一の心の慰めとなっているのです。同窓会で、三千代が幸せいっぱいに暮らしていると思い込んでいる旧友が、冷やかし気味に生活の様子を尋ねると、「猫飼ってるの」と答えたり、里子と東京に向かう車中で、初之輔のことより猫のことを心配したり、三千代の関心が夫から離れている状態を微妙に表しています。
 酔っぱらって帰って伸びている初之輔を三千代がほったらかしているのに、ユリが様子を見に近づいてきたり、自分に対してとげとげしい三千代の代わりに、坊主憎けりゃとばかり、里子がユリをちょっと邪険に扱ったり、人間の心のひだを、ユリがくっきりと浮かび上がらせているのです。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆ベタつかないめし

 この映画のストーリーをまとめていて思ったのですが、『めし』を見たことがない人がこのストーリーを読んだら、ドロドロのメロドラマと思うのではないでしょうか。けれども、実際は、軽妙なユーモアと庶民の哀感をにじませた、洗いざらしてよくなれた木綿のような、さらりとした感触の映画です。
 原作は、林芙美子の同名の朝日新聞の連載小説で、林芙美子の急死により未完に終わったため、映画化にあたり脚本の井手俊郎田中澄江が結末を書いたそうです。当初は千葉泰樹が監督を務める予定だったのが、急病によりスタッフ・キャストはそのままで、監督だけ成瀬巳喜男に交代。成瀬監督は、林芙美子原作の小説の6本の映画化で立て続けにヒットを飛ばしますが、その出会いとなる第一作の『めし』がピンチヒッターとしての登場だったのです。運命というものはわからないものです。

◆三千代と初之輔

 三千代は初之輔の同僚からも「美人の奥さん」と評判で、昔の同級生からも幸せに暮らしていると思われています。美人というだけで人の願望の投影を受けてしまうのです。
 初之輔を置いて、いつ帰ると決めずに実家に行ってしまった三千代。直接の引き金は奔放な里子の登場ですが、その前から不満の種がくすぶっていました。終戦後の自由な空気の中で恋愛で結ばれた二人、その高揚感は長くは続かず、食事の支度、洗濯、掃除、と家事でつぶれる変わり映えのしない毎日。「台所と茶の間と・・・女の命はやがてそこにむなしく老い朽ちていくのだろうか」と、三千代は夢も希望も持てないでいます。
 夫の初之輔が悪いのか、というと、そうではありません。初之輔はおとなしい、冒険したがらない男。証券会社に勤めていますが、株屋に勤めて株をやらないのは初之輔ぐらい。同僚で儲けている人がいるでしょうねと三千代が言えば、スッた者もいるだろう、とヤマっ気のない堅実系男子。何を言っても糠に釘なので、たまに喧嘩して言いたいことを言うこともできません。パチンコをする場面はありますが特に趣味らしいものもなく、同僚にキャバレーに連れていかれてもこんな場所は初めてだし、サラリーは足りるだけのものはくれるし、美男子だし、いい人なのです。ただ、苦しい家計のやりくりの中のこういう夫との単調な生活に、三千代は満たされないものを感じているのです。

◆アプレの時代

 そんな二人にとって里子の登場は、結婚後初の波風だったのかもしれません。
 里子は戦後のいわゆる「アプレゲール」。戦前の道徳が崩れる中、自分の欲望のままに行動する無軌道な若者たちがこう呼ばれ、時には「アプレ犯罪」と呼ばれる事件を起こしたりしました。里子にまとわりつく芳太郎(大泉滉)という青年が、里子に素っ気なくされ「オー、ミステーク」と手を広げますが、これもアプレ犯罪の犯人が逮捕されたときに言った言葉で、流行語にまでなってしまったものです(オー・ミステーク事件)。
 前半の山場は、三千代が同窓会から帰宅してからの展開。初之輔が買ったばかりの靴を盗まれてしょげている、里子が頼んでおいた食事の支度をしていない、初之輔と里子が二人で紅茶を飲もうとしていた形跡がある、里子が鼻血を出して寝ている枕元の灰皿にたばこの吸い殻がある(里子が吸っていたものを、夫の吸い殻だと思い込む)、里子の鼻血の手当てに三千代の手ぬぐいを使ってしまう、初之輔のシャツの肩口に里子の鼻血がついている、「ああ、腹が減った、飯にしないか」と初之輔が言う。
「あなたは私の顔を見るとおなかがすいたってことしかおっしゃれないのね」
「たまに外に出て帰ればイヤなことばっかり」
がっかりして座り込む三千代には同情しかありません。けれども、どこかコメディのような匂いもある、名場面です。

◆一夫と信三

 初之輔と同年代の男性として、いとこの一夫と、三千代の妹の夫・村田信三(小林桂樹)がこの映画に登場します。
 信三は、三千代の実家に婿として入り、妹の光子(杉葉子)と小さな洋品店を営んでいます。信三は、初之輔と対照的にはっきりした性格。里子が泊めてと転がり込んできたときも、きっぱりとお説教し、大甘だった初之輔とは正反対。ただ、戦前からの父権的な道徳を保っている信三に対し、三千代が共感したりするような描写はありません。
 一方、三千代に箱根に行こうかと誘った一夫は、三千代を女として愛しているのでしょうか。三千代と初之輔の結婚が周囲から反対されていた理由は不明ですが、初之輔の収入が少なく、苦労するのが目に見えていたのだと思います。一夫は、三千代ならもっといい条件の男を選べたんじゃないか、と思っていたのかもしれません。三千代を愛していたというより、同情と慰めの気持ちで、その言葉が出たのではないでしょうか。ただ、里子から声をかけられるままに江ノ島まで遊びに行った、という行動には、プレイボーイの側面も見えます。三千代は一夫に対して抱いていたうぬぼれた思いも消え、ばかばかしくて笑い出してしまいます。

◆70年前の幸福

 おとなしく、堅い初之輔の性格が、幸運を呼びます。知り合いの投資話に初之輔が乗らなかったおかげで、会社に損害を与えないですんだのです。三千代のおじに評価され、より給料のいい会社への転職を勧められる初之輔。すぐに返事せず、三千代に相談してから、と言うのも彼らしい。
 初之輔が実家にやってきてからは、前半のいさかいの場面と好一対を成す、こちらも渋い名場面です。前半で投げられたボールがどう転がるのか、抑揚を抑えた演出は心憎いほど。
 ラストは、女の幸福についての三千代のモノローグと横顔に、家事にいそしむ主婦たちのカットがオーバーラップで入ります。世の中を見て、平穏無事な生活を送れることのありがたさを実感した三千代という平凡な女性として、ふさわしい結論が語られます。ただ、現代の目からは少々興ざめの感。主婦たちのカットで「女の幸福とは」と普遍化せず、三千代の物語として、彼女の横顔で終わった方がよかったのではないでしょうか。

◆女優が輝く映画

 生き方のうまくない人間の、どうしようもなさを描きながら、そんな人間が愛おしくなるような映画を多く残した成瀬巳喜男監督。女性映画の名手とも言われています。『めし』と同じ年に、原節子主演・小津安二郎監督の『麥秋』(ばくしゅう)が一足先に公開され、どちらも人気だったそうです。
 『めし』では微妙な大人の女の心の動きを、原節子が繊細な表情の変化で見事に表現。成瀬監督の映画ではもっぱらダメ男を演じる、愛すべき上原謙浦辺粂子の近所のおばさん、お向かいのお妾さん、猫の大っ嫌いな三千代の同級生など、達者な脇役たちの人情が、豊かなハーモニーを生んでいます。「めし」だからというわけではありませんが、主役がご飯として真ん中に座り、煮物とか漬物といったおかずとして脇役がその周りを飾り、いつ食べても食べ飽きない駅弁のような庶民的な味をかもし出しているのが、成瀬監督の映画だと思います(ユリはご飯の真ん中の梅干しかな?)。

 『めし』には、アプレゲール以外にも戦後の日本社会を紐解くキーがいくつも登場します。「外米(がいまい)」「社交ダンス」「尋ね人の時間」…。映画が始まってすぐの物売りが、何を売りに来たのかを推測するのも、面白いかもしれませんね。


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