この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

ミッドナイト・エクスプレス

  製作:1978年
  製作国:アメリ
  日本公開:1978年
  監督:アラン・パーカー
  出演:ブラッド・デイヴィス、ポール・スミス、パオロ・ボナチェッリ、
     ジョン・ハート 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    友人マックスのペット
  名前:なし
  色柄:茶白ブチ
  その他の猫:刑務所出入りの通いの三毛猫

脱獄もの映画の名作のひとつ。ただし手放しには楽しめないことが・・・。


◆深夜急行

 列車にはドラマがあります。「トワイライト・エクスプレス」、「シンデレラ・エクスプレス」…ロマンチックな響きの列車を、コマーシャルと共に思い出す人もいらっしゃるでしょう。「トワイライト・・・」は、日本周遊の豪華列車、「シンデレラ・・・」は、遠距離恋愛カップルの片方が、デートを終えて自分の住む町に帰るために乗る、日曜の最終の新幹線。この映画のタイトルの「ミッドナイト・エクスプレス」は、刑務所用語で「脱獄」のこと。その言葉の意味を主人公に教えてくれたのは、刑務所で知り合った先輩格の囚人です。彼はつぶやきます。「だが、ここには止まらない」と。

◆ストーリー

 ガールフレンドのスーザン(アイリーン・ミラクル)と、トルコのイスタンブールに旅行に行ったアメリカ人のビリー・ヘイズ(ブラッド・デイヴィス)は、帰国の日、アメリカの友人に渡すつもりで体に麻薬を隠して空港に向かった。挙動不審のビリーは空港で捕まってしまい、刑務所に送られる。そこは所長のアミドウ(ポール・スミス)や、雑役係のリフキ(パオロ・ボナチェッリ)が、暴力や密告で非人間的な支配を行う場所だった。ビリーは、刑務所で知り合ったジミー(ランディ・クエイド)やマックス(ジョン・ハート)たちから、ここを早く出るには脱獄しかないと聞かされる。ビリーの4年2カ月の刑期が残り53日になったとき、裁判のやり直しがあり、刑期が30年に改められてしまう。ビリーは脱獄の道を真剣に考え始める。
 ビリーたち3人は獄舎の中の脱獄ルートを探り出すが、あと一歩のところでリフキが気づいて所長に密告し、ジミーが連行される。さらにリフキがマックスから麻薬を手に入れたと濡れ衣を着せ、怒りのあまり、ビリーはリフキを残忍な方法で殺してしまう。
 ビリーは精神を病んだ囚人ばかりの棟に送られ、心のバランスを失っていった。そんなある日、スーザンがアメリカから面会に訪れ、ビリーを励まして帰っていく。ビリーは正気を取り戻し、所長のアミドウにここから出して病院に入れてくれと交渉するが・・・。

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◆窓からこんにちは

 この映画で、主に出てくる猫は、ビリーの先輩格の刑務所仲間・マックスのペットの茶白のブチの猫。マックスはこの猫をいつもそばに置いてかわいがっています。猫は刑務所の窓から出入りしています。ビリーが夜中に三毛猫を抱き上げるカットがありますが、これはマックスの猫とは別の通い猫のようです。猫が出るのはマックス登場から全体の5分の2くらいまでの間です。
 この刑務所は、鉄格子でガチガチに閉じ込められているとか、狭い部屋に大勢が押し込められているとかいう環境ではありません。囚人は私服で、運動場ではまるで中学校の昼休みのように大勢の囚人が遊んだり体を動かしたり、結構自由そうに見えますが、言い換えれば無秩序、規律なし。所長が囚人に暴力をふるったり、雑役係のリフキが囚人から搾取に近い商売をしたりなど何でもありで、一見寮のような獄舎には、刑務所ものお決まりのネズミではなく、猫が窓から出入りするラフさがあるわけです。イスタンブールは猫の街、と言われるくらい街中に猫が多いことで知られていますが、刑務所の中にまで出没しているとは。
 マックスとリフキの間でいさかいがあったあと、マックスの可愛がっている猫にリフキがしたむごい仕打ち。肩を震わせるマックスを、囚人たちが同情とやるせなさの混じった視線で見つめます。リフキはざまあみろと言わんばかりにほくそ笑んでいます。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆押さえておくべきこと

 この映画は、ビリー・ヘイズという、映画の主人公と同名の人物の実話をもとに、彼とウィリアム・ホッファーが出版した原作をオリバー・ストーンが脚色したもので、アカデミー脚色賞、ゴールデングローブ脚本賞など、数々の賞を受賞しました。が、映画化にあたり、かなり原作にない要素を付け加えてしまったようです。映画の中心を貫いているのは、アメリカとトルコの文化的な異質性で、明らかにアメリカから見てトルコが非文明的であるという立場で描かれています。もはや現在は、異文化や他民族を一方的な価値観から描くことの許されない時代となりましたが、事実としてあることは事実として伝えるべきという側面もあります。それだけに、ドラマ的に面白くしようとして手を入れたと聞くと、この映画に描かれていることのどこまでが事実か、この映画をどう評価すべきか、という問題が浮かび上がります。
 原作者のビリー・ヘイズは、映画の公開から30年近くたった2007年にトルコを訪れ、この映画には過大な誇張がある、長年にわたりトルコのイメージを悪くしてきたことを遺憾に思うと、記者会見で発表。それまでに誤認されている事実を改めたいと再三にわたりメディアに表明してきたにもかかわらず、この映画の影響力によってかき消されてしまった、自分が伝えたかったメッセージは、「トルコに行くな」ではなく、「自分のように、麻薬を密輸するなどという馬鹿な考えを起こすな」ということだった、と語ったそうです(注)。
 つまり、この映画は、最初に実話であるという字幕が出ますが、実態は実話をヒントにしたフィクションだと思って見なければなりません。他国や他民族の名誉を傷つけるという、誤った姿勢のもとに作られているのです。

◆映画の魔力

 そういうわけで、ここでは以後、舞台は「某国」としたいと思います。ここでいまさら私が言い換えたところでどうにもなるものではないとも思いますが、そうさせてください。
 そもそも、この映画が注目に値しない作品だったら、一つの国のイメージを長年にわたって悪くするほどの力は持たなかったはずですが、幸か不幸か、この映画は人の心をぐっとつかむ魔力を秘めていました。
 まず、この映画で主人公のビリーを演じ、ゴールデングローブ新人男優賞を受賞したブラッド・デイヴィスの魅力です。ほんの出来心で、すぐにばれそうな単純な手口で麻薬を国外に持ち出そうとする、悪ずれしてないお坊ちゃん育ちの主人公にぴったりです。
 自分では麻薬をやっておらず、金儲けをしようという悪質な動機もないのに、アメリカに比べて某国では重罪、そして収監された刑務所は非道な世界――、ドラマとして主人公に同情を集めさせ被害者として描くには、こういう無垢なタイプの若者を持ってくることがポイントです。刑務所に入って坊主頭にしてからは、甲子園球児のようなピュアさがアップ。こんな若者が裁判で司法の問題を糾弾する演説を行うシーンを見れば、観客はたちまち彼に共感してしまいます。
 けれども、その演説は論理の筋道としては感動的ですが、内容は某国を非難し、侮辱するものでした。ビリーに同一化した観客は、その主張を某国に対する自分の見方として取り込んでしまいかねません。このことは、映画がプロパガンダ(意図をもって多数の人の意見を特定の方向に誘導しようとする宣伝活動)として利用されることの怖さに通じるものです。

◆面白ければいい?

 この映画が、わざわざ某国にケンカを売る目的で作られたとまでは言えないように思いますが、ドラマ的に面白くしようとするあまり、突っ走ってしまったのでしょうか。映画の中でたびたび触れられているように、この当時はアメリカと某国の関係は良くなかったようで、それも影響しているのかもしれません。原作者のビリー・ヘイズが言っているように、麻薬を密輸しようなどという馬鹿なことはするな、というメッセージではなく、某国は前近代的で恐ろしい所というメッセージばかりが伝わってきます。
 某国代表の敵役はどす黒い人物ばかり。所長、リフキ、金でビリーの罪をもみ消そうと画策する弁護士、ビリーを見せしめとして重罪を課そうとする検事、いい人は一人も出てきません。原作をどこまで反映しているかはわかりませんが、過ちを犯した若者を無慈悲にいけにえにする悪魔の集団、という手なれた描き方で映画はヒートアップします。

◆あいた風穴

 たまりにたまった怒りを爆発させ、リフキを殺したビリー。幽鬼のような囚人たちに囲まれ、魂の抜けた彼のもとに、思いがけずアメリカからガールフレンドのスーザンが訪ねてきます。ビリーが収容されて以来4年を超える月日で、初めてまともな社会と交流する窓が開かれます。
 掘っ立て小屋のような面会室で、スーザンに会ったビリーは、話も上の空で「脱いでくれ」と要求。彼女のはだけた胸を見て、ガラス越しにエクスタシーに達してしまいます。ビリーが常軌を逸した精神状態であることを描きつつ、病人のように見えるその体に若者らしい生命力が流れていることを物語る、印象深い場面です。
 スーザンは、家族の写真を収めたアルバムをビリーに見せ、何も写真のない裏表紙を叩いて、「あなたのお友達のフランクリンさん。覚えてる? 銀行にいるわ」と、謎のようなことを言います。日本だったら、「あなたのお友達の福沢諭吉さん」と言うところ。「ベンジャミン・フランクリン」が隠されたアルバムはビリーに渡されます。
 「自分だけを信じて」「ここにいたら死ぬわ」と叫ぶスーザンを茫然と見送ったビリーは、囚人たちが右回りにぐるぐると歩く柱の周りを、一人で逆方向に回りだします。ここの秩序に逆らって自分だけを信じようとするかのように。スーザンが来てから、ミッドナイト・エクスプレスが起動します。閉塞した状況を打ち破るために、新鮮な空気が吹き込まれることが必要だったのです。
 映画は、驚きのラストに向って疾走します。狂気の所長とビリーの対決が極限に達したそのとき、事態が動きます。

◆映画界の課題

 ビリーを演じたブラッド・デイヴィスは、コカインの過剰使用の上、エイズを発症、41歳で自宅で幇助自殺したということです。彼自身の最期に薬物が影を落としたという皮肉。この映画から彼が得たものは何だったのか、残念としか言いようがありません。
 ブラッド・デイヴィス以外の俳優では、ヒッピー風のマックスを演じたイギリス人のジョン・ハートが、知性的な演技を見せました。この映画でゴールデングローブ助演男優賞、英国アカデミー助演男優賞を受賞、『エイリアン』(1979年/監督:リドリー・スコット)では、最初にエイリアンの犠牲になったケインを演じています。こういう渋い俳優が脇を固めると、映画に重心が座ったような安定感が出ます。
 ジョルジオ・モルダーの音楽も強い印象を残します。最近の映画の傾向として、場面の解釈を誘導するような出しゃばった音楽が多く、うんざりさせられることがあるのですが、モルダーの音楽はシンセサイザーのシンプルな旋律とリズムの繰り返しで、主人公の絶望感を十分に表現しています。アカデミー作曲賞ゴールデングローブ作曲賞ロサンゼルス映画批評家協会音楽賞を受賞。

 数多くの賞が『ミッドナイト・エクスプレス』に与えられたということは、やはりこの映画が多くの人の心をとらえる力を持っていたことを知らしめるものです。それだけに、事実を歪曲したシナリオが、舞台となった国や民族ばかりか、原作を書いた作者までも傷つけた、という拭い去れない汚点をはらんでいることが惜しまれます。
 一方で、多方面に配慮するあまり、昔々のどこかの国とか、宇宙のとある星との戦いだとか、差しさわりのない架空の世界のおとぎ話映画が盛んに作られる、という現状もあります。『ミッドナイト・エクスプレス』を見て、現在の映画作りの抱える課題を考えてみる、というのも一つの観賞方法ではないでしょうか。

(注)Midnight Express (1978) - Trivia - IMDb


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