この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

西鶴一代女

  製作:1952年
  製作国:日本
  日本公開:1952年
  監督:溝口健二
  出演:田中絹代三船敏郎、菅井一郎、進藤英太郎、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    呉服屋笹屋の飼い猫
  名前:たま
  色柄:茶白のブチ(モノクロ映画のため推定)

井原西鶴の『好色一代女』をもとに、愛を求めて苦悩する女・お春を描いた、日本映画の至宝。


◆美女は命を断つ斧

 見出しは、1686年に世に出た井原西鶴浮世草子『好色一代女』の出だしの文言です。『好色一代女』は、主人公の老尼が庵を訪ねてきた若い男に、13歳から65歳までの男性遍歴を話して聞かせるという物語です。『西鶴一代女』は、その構成を踏まえつつ、主人公のお春が真実の愛を求めながら運命の犠牲になり、落ちぶれていくさまを、酷薄に描き出す人間ドラマとなっています。『好色一代女』の文字通り性的な欲望を主体的に求めるヒロインは、『西鶴一代女』において男の性的欲望の犠牲になるヒロインへ。『好色一代女』を思い浮かべて、エロチックな映画ではないかと敬遠していた方がいらっしゃいましたら、ご覧になってその哀しくも美しい世界を味わっていただきたいと思います。
 溝口健二監督はこの作品でヴェネツィア国際映画祭国際賞を受賞、翌1953年の『雨月物語』で同銀獅子賞、さらにその翌年に『山椒大夫』で同銀獅子賞(黒澤明監督『七人の侍』と同時受賞)という快挙を成し遂げ、日本映画の水準の高さ・彼の映画の芸術性を世界に知らしめました。

◆ストーリー

 江戸時代の奈良。夜明け、惣嫁(そうか)と呼ばれる街娼のお春(田中絹代)が、寺の羅漢堂に入り、羅漢像の顔に自分の人生を通り過ぎて行った男の面影を思い浮かべ、回想が始まる。

 位の高い武家に生まれたお春は、御所に仕える身ながら、他家の若党の勝之介(三船敏郎)の求愛に身を任せたことが発覚、不義密通の罪で両親と洛外に追放されてしまう。勝之介はお春に「真実の思いに結ばれて結婚するように」と言い残して斬首され、お春は悲嘆にくれる。
 ある日、お世継ぎをもうけるために、側室を探しに京に来た松平家の家臣(小川虎之助)がお春に目を留め、江戸に呼ばれる。勝之介の遺言を忘れられず、世継ぎを産むための身分にわりきれなさを感じながら、お春は泣く泣く江戸へ行く。お世継ぎを産むことができたものの、殿のご寵愛が過ぎお命にかかわると、わずかな金を持たされて京に帰される。
 お春の出世を当て込んで呉服を大量に仕入れ、借金をしていた父親は、戻ってきたお春を京の遊郭・島原に遊女として売ってしまう。お春は太夫にまで上りつめ、お春を嫁にと申し出た田舎者の大金持ち(柳永二郎)に、真に愛してくれるならと嫁ぐ気になりかけたが、男は贋金造りでお縄。
 側室入りの折に骨を折ってくれた呉服屋・笹屋(進藤英太郎)のもとに住み込んで働き始めたが、島原に出入りしていた客とばったり会って遊女だった過去がばれ、主人からは言い寄られ、女房(沢村貞子)には主人との間を邪推され、お春はここも去る。
 親元に戻ると、出入りしていた扇屋の弥吉(宇野重吉)に見染められ、過去も何もかも承知で妻に迎えられる。やっと真に想い想われる人と所帯を持てたと思ったのもつかの間、弥吉が物盗りに殺されてしまう。
 世をはかなんだお春は、尼になろうと尼寺に身を寄せるが、お春に気があった笹屋の番頭・文吉(大泉滉)が店の品をごまかしてお春に貢ぎ、大番頭(志賀廼家弁慶)が寺に取り立てに来る。お春が「もらった品はもう仕立てた」と、着ていた着物や帯を脱ぎ棄てるのを見て、大番頭はお春に手を出してしまう。庵主の尼(毛利菊枝)に見とがめられ、お春は寺を追い出される。
 寺を出たお春は、店の金を持ち逃げして来た文吉にばったり出会い、二人で逃げるが、文吉は追手に捕えられてしまう。
 荒れ寺の門に座って三味線を弾き語る五十がらみの乞食姿のお春。たまたま通りかかった武家の駕籠から若君の姿が見え、我が子を思い出して泣き伏したところを年配の惣嫁の女たちに助けられ、仲間に入る。
 夜、街角に立つお春に、一人の老人がついてくるよう促す。巡礼宿に着くと、老人が数人の若衆にお春の老醜をさらし、お前らは女が欲しいというがこんな女でも相手にするか、と説教をする。わずかな駄賃で追い返されるお春。
 再び冒頭の夜明けの寺。お春は羅漢像を見ているうちに気を失う。気が付くと母が枕辺にいて、松平家で産んだ子が当主になったと知らされる。お春は晴れてご生母として江戸に呼び戻されることになったが…。

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◆猫と化け猫

 和の美を極めたこの映画、御所、武家遊郭、寺など、主人公が居場所を変えるたびに家屋や調度などの美術、髪型や装束も変化し、いまこれを再現することは不可能ではないかと思われるほど、豪華で緻密な考証がなされています。映画は多くのスタッフの力を結集して作り上げる総合芸術だと、あらためて思い知らされます。
 呉服屋の笹屋嘉兵衛がからむ場面は、町人らしいくだけた雰囲気で、くすりと笑わせるところも。
 映画中盤で登場する猫は、この笹屋のたま。笹屋の女房は、以前病気をして頭のてっぺんが大きくはげており、夫の嘉兵衛にばれたら愛想尽かしをされると、つけ毛をして絶対に知られないようにしています。お春が遊女をしていたことがわかると、女房は夫がそれを承知でお春を住み込みで雇ったのだと思い込み、嫉妬でお春の髪をはさみで切ってしまいます。そんな目に遭ったあと、主人に手を出されて、お春の怒りが爆発。自分の髪の油の匂いをたまにかがせて、女房の寝室に忍び込ませます。しばらくすると、障子に髪油の匂いがついた女房のつけ毛をくわえて逃げるたまのシルエットが。気づいた女房が大騒ぎをして、主人にはげを見られてしまいます。
 シルエットのたまは、古い映画によくあるように明らかに作り物とわかる動きですが、歌舞伎など古典芸能の、人間が演じる動物のようなユーモアも感じられ、これはこれでほほえましい味があります。

 『西鶴一代女』には、化け猫も登場します。お春です。
 お春が老人に導かれて三十三ヶ所巡り(近畿地方を中心にした三十三の霊場の巡礼)の宿に連れていかれ、若衆を前にさらし者にされたときのことです。五十を過ぎたお春が、男の気を惹くために二十歳そこそこの身なりと作り声をして暗がりに隠れ、生きていくためと自分を奮い立たせて初めて街角に立った夜に、「どうじゃ、この化けようは」といきなり浴びせられた屈辱。駄賃を持たされて帰りかけたお春がたまりかねて、踵を返して老人と若衆の前に進み出ます。
「この化け猫とお話しなさるのも、ま、お国へのいいお土産話でございますな」
と言うやいなや、舌を突き出し、猫のような手つきで彼らをひっかくような真似をして「ヒヒヒ…」と宿を後にします。映画に描かれた女の惨めさの中でも、この上なくむごいものでありながら、責め絵のような美すら感じるシーンです。背後から彼らが笑う声がしますが、お春はもはや振り返りません。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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溝口健二という巨人

 海外の映画監督からも絶大な賛辞を贈られている溝口健二は、作品もさることながら、監督本人の人格、個人史、映画への姿勢において、伝説ともいうべき数多の逸話を残し、研究書や評伝などが多数出版されています。溝口健二の映画について語るということは、溝口健二自身を語ることでもあります。詳しくはそれらの書籍と、何より作品をあたっていただきたいと思いますが、私は、溝口健二が生きた時期が幸運だった、と思います。
 彼は1898年に東京に生まれ、没年は1956年。明治後期、大正、昭和の前半を生きたことになります。溝口は二十歳を過ぎてから当時新興産業だった映画界に入ります。24歳で監督デビュー。直後に関東大震災(1923年)が起きて撮影所が壊滅、京都に移り、溝口はそこで京都・大阪の文化に触れます。これが、彼の日本的美意識に貫かれた表現に結びついたと言われています。
 彼の生涯は、社会が不安定で、暮らしや文化や価値観が大きく揺れ動く時期と重なりますが、それゆえ勃興期の映画産業という場で力を試すことができるカオス的状況に恵まれた、と言えます。やがて映画のカラー化の時期、彼の残した2本のカラー作品『楊貴妃』(1955年)『新・平家物語』(同)は、学芸会のような失敗作。そして、日本映画の観客離れが進む直前に彼は亡くなります。浄瑠璃や新派などに描かれた日本人のウェットな心情・自らの美意識を完璧なまでに時間とお金をかけ追求してきた彼は、生きていれば価値観の変化、映画産業の衰退の中でもがき苦しんだことでしょう。この時期この世を去ることができたのは、幸せだったかもしれません。

◆女優田中絹代

 主演の田中絹代(1909~1977)は1924年から国民的女優として活躍。彼女も多くの逸話を残しています。戦後、親善使節として数ヶ月間渡米し、帰国後、サングラスで「ハロー」と挨拶、投げキスを連発して銀座をパレード、日本中からバッシングを受けたのは有名な話です。これにより一時は自殺を考えたともいう彼女は、同時期にスランプに陥っていた溝口監督と、この『西鶴一代女』で立ち直ったと伝えられています。映画監督としても数本の作品を残し、最近ネット配信で一部を見ることができるようになったのは嬉しいことです。溝口監督の作品には1940年の『浪花女』で初めて出演し、15本の映画に出ています。
 溝口健二田中絹代に想いを寄せていた、というのも定説になっています。映画監督・脚本家の新藤兼人は、溝口健二についてのドキュメンタリー映画『ある映画監督の生涯』(1975年)で田中絹代にインタビューし、その噂に切り込んでいます。田中絹代は、溝口健二に対してまんざらでもなかったようですが、尊敬する映画監督と女優としての関係、とかわしています。サディスティックなまでに、虐げられた女性像を作品で描いた溝口健二は、女性とあまり良好な関係を築けなかった人です。
 ヴェネツィアに『西鶴一代女』を引っ提げて行った二人。『西鶴一代女』の田中絹代は、ほかのどの映画より美しく、女優としてのりりしさと凄みを感じます。いずれにしても、二人とも真相をお墓にまで持って行ってしまったので、日本映画史きってのロマンスの噂は謎に包まれたままです。

◆勝之介の心

 静かな日本情緒に貫かれている『西鶴一代女』で、三船敏郎演じる勝之介がお春を口説くときのセリフや遺言には違和感があります。
「人間は、いえ、女は、真実の思いに結ばれて生きてこそ初めて幸せなのでございます」
「身分などというものがなくなって、誰でも自由に恋のできる世の中が来ますように」
 家、身分が優先する封建的な江戸時代に、このような自我意識に基づいた主張をすることなど、ありえません。『肖像』の記事の中で触れたように、この時期の日本映画はGHQの占領下で、封建的な要素の排除、民主主義啓蒙的な内容が求められています。三船敏郎と言えば黒澤明の『羅生門』(1950年)での京マチ子とのキスシーンも違和感がありました。勝之介の自己主張も、多襄丸(『羅生門』での三船の役名)のキスも、GHQがらみの演出でしょう。ただし勝之介のこの言葉は、『好色一代女』の主人公の淫蕩ゆえの男性遍歴というストーリーの軸を、真実の愛を求めるお春の魂の遍歴という軸に転換する役割を担っています。
 そうは言ってもこの部分が全体から浮いているのは否めません。三船がこの役に似合っていないのも残念です(三船の溝口作品出演はこれだけ)。

◆失われたシーン

 西鶴一代女』で私がもう一つ感じた違和感があります。タイトルで田中絹代の次にクレジットされ、当時のポスターか何かを使ったDVDのジャケットにも大きく顔が載っているわりには、松平家の奥方役の山根寿子の影が薄いのです。
 わが白井佳夫師匠が、著書『黒白映像日本映画礼讃』(1996年/文藝春秋社)で触れていますが、現在、再上映されたりDVDになっている『西鶴一代女』には、公開当時に存在していたシーンのいくつかが欠落しているというのです。山根寿子の奥方がらみでは、悋気講(りんきこう)という、憎い相手に見立てた人形をいじめて憂さ晴らしをする催しを開き、お春そっくりの人形を侍女たちがなぶりものにするのを奥方が無表情に眺めるシーンがあったそうです。依田義賢(よだよしかた)の書いたシナリオを読むと、そのほかにも、お春が飯盛り女になったり、湯女になって男の背中を流したりなど、だんだんと落ちぶれて乞食になるまでのいくつかのシーンが存在しています。
 これらのシーンは、師匠が依田義賢に聞いたところ、ヴェネツィア国際映画祭出品のときに上映時間の制限があったためにカットされたそうで、その後師匠の求めで兒井英生(こいえいせい)プロデューサーが調べた限りでは、元のフィルムは所在がわからないとのことです(前掲書)。
 『西鶴一代女』以外の今に残る多くの古い作品も、恣意的な加工が加わったコピーを知らずに見ているということがあるのかもしれません。日本のどこかに、失われたシーンの含まれた『西鶴一代女』のフィルムが眠っていないものでしょうか・・・。

 

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