この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

砂の器

  製作:1974年
  製作国:日本
  日本公開:1974年
  監督:野村芳太郎
  出演:丹波哲郎森田健作加藤剛島田陽子加藤嘉 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    作曲家・和賀英良(わがえいりょう)の飼い猫
  名前:なし
  色柄:キジトラ

70年代を代表する名作推理サスペンス。「宿命」のメロディーに乗って描かれる、壮絶な過去の記憶とは? (ネタバレあり)


シネスコの旅風景

 新型コロナウィルスの感染拡大により、不自由な日々をお送りのことと存じます。また、ご自身や身近な方が感染された皆様には心からお見舞い申し上げます。
 今回、久しぶりに『砂の器』を見たとき、映画の前半、刑事が列車で本州各地を回るところで、駅や列車の映る画面を食い入るように見ている自分に気付きました。旅への飢餓状態です。長距離列車に乗りたい、車掌さんが来るとき少し緊張してみたい、乗り換え時間を駅で過ごしてみたい、そして、シネマスコープの大画面でこれを見てみたい。
 それを安心して実現できるまでの間、このようなブログが読者の皆様にとってしばしの慰めになれば、と願うばかりです。

◆ストーリー

 1971年6月、国鉄蒲田操車場で、60代前半とみられる男性の他殺体が見つかる。男性の身元につながる所持品はなく、直前に立ち寄った近くのバーの従業員の証言によると、男は東北弁で、連れの白いスポーツシャツの若い男と「カメダ」と話していたという。警視庁のベテラン刑事・今西(丹波哲郎)と、西蒲田署の若手刑事・吉村(森田健作)は、その証言をもとに秋田まで聞き込みに行くが、手掛かりはつかめなかった。
 身許不明の遺体の確認に来た息子によって、男は岡山の三木謙一(緒形拳)と判明した。三木は一人でかねてから念願のお伊勢参りに出かけ、なぜ予定にない東京に行ったのか、息子には全くわからないと言う。
 三木が出雲地方で昔巡査をやっていたこと、出雲では東北弁に似た訛りがあること、そこに亀嵩(かめだけ)という地名があることを手掛かりに、今西は当時恨みを抱いた者による犯行ではないかと亀嵩を訪ねる。三木は人望篤く、一点の曇りもない人物だった。
 一方、吉村は、走る中央線の窓から紙吹雪のような物をまいた女がいた、という新聞のエッセイ記事から、犯人が犯行時に着ていたスポーツシャツではないかと、その女の勤めるバーに行く。女は高木理恵子(島田陽子)と名乗ったが、吉村が来店したその場で姿を消してしまう。吉村は執念で紙吹雪のようなものを線路際に這いつくばって見つけ出す。それは三木と同じO型の血がついたスポーツシャツの破片だった。
 理恵子は和賀英良(加藤剛)という将来を嘱望される新進作曲家と肉体関係を持っていた。和賀は、後援者である前大蔵大臣の娘・田所佐知子(山口果林)と婚約し、理恵子が邪魔になっていた。和賀の子を宿していた理恵子は、和賀から冷たくされ、誰にも知られず流産で失血死してしまう。
 今西は、犯人の手掛かりを探りに、伊勢、石川、大阪をめぐる。そして、三木がなぜお伊勢参りから急に東京に向かったかを突き止める。
 三木の事件の捜査会議で、今西と吉村は、犯人は和賀英良であると発表する。スポーツシャツの破片を列車の窓から捨てたのは高木理恵子。和賀にとって三木は、絶対に知られたくない自分の過去を知っている人物だった。
 おりしもコンサートホールでは、和賀の作曲した「オーケストラとピアノのための宿命」の演奏会が始まっていた・・・。

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◆気まずいときのペット

 この映画の猫は、中盤、和賀が部屋で作曲しながら婚約者の佐知子と語る場面で登場します。キジトラの、4、5カ月目くらいのしっぽの短い子猫です。ブルーの大きなリボンをつけてもらっていますが、この猫、ストーリー展開にはかかわりを持ちません。わざわざここに猫を出さなくても成立する、と言っていいシーンです。そういう意味では、ほんのチョイ役の瞬猫映画と言ってもいいくらい。山口果林も、加藤剛も、かわるがわるこの猫を抱き、そのしぐさがとても自然なので、二人とも猫を飼っていたのではないかと思います。山口果林が立っているところにこの猫が自分からすすんで歩み寄っていくところがなんともかわいいです。
 普段気楽な関係の家族とか男女が真面目な話を切り出すなど、まともにお互い目を見て話すのはちょっと気づまりなとき、そばにペットがいると、ペットの方に目を向けて話す、ということをよくやりますね。この場面は、佐知子が「あなたとなら幸せになれると思う」と言い、和賀が「幸せなんてものがあるのか」と混ぜ返す場面です。二人が猫を受け渡しし、和賀は猫を抱きながら佐知子に背を向けています。この場合、猫なしで和賀が佐知子に背を向けていると、和賀の視線や腕のポーズによっては、二人の間にかなりの緊迫感が生まれます。これが、和賀が抱いている猫に目が行っていることで、それほど厳しい空気は感じられません。そのあと、佐知子が和賀に、もう一人の女性との関係をキッパリさせるように、と言い渡すと、和賀は子猫を腕から下ろし、佐知子に背を向けて視線を前方へ投げます。同じ背を向けての対話でも、こちらのカットには緊張が走ります。猫は、このシーンの中で最も強い緊迫感をここに持って行くために、その手前で使われたのではないかと思えます。そう考えるとこの猫も、出ても出なくても関係ないとは言えなくなってきます。
 けれども、一人暮らしの男性が猫に大きなリボンをつけて飼っている、というのは絵としてちょっと違和感がありますが・・・。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆元祖・サスペンス鉄旅

 数々の名画を生み出した監督・野村芳太郎と原作・松本清張の黄金コンビ。松本清張の書く「社会派推理小説」は、単なる犯人捜しのトリックを超え、社会的な背景から生まれた犯人の葛藤を克明に描き、繰り返し映画化、テレビ化されています。松本清張原作の映画は全部で36本、うち野村芳太郎監督によるものは8本あります。
 鉄道ファンだった松本清張は、時刻表を使った東京駅での4分間のトリックの『点と線』(1958年/監督:小林恒夫)など、その豊富な知識を巧みに作品に生かしています。
 野村監督と松本清張による最初の映画は1958年の『張込み』です。愛のない結婚をした人妻(高峰秀子)が、強盗殺人を犯したかつての恋人(田村高廣)に呼び出され、山深い温泉宿に会いに行く・・・それを尾行する二人の刑事(大木実宮口精二)。刑事たちが横浜から佐賀まで列車で捜査に向かうのですが、新幹線もまだない時代、夜行のボックス席で、朝方、京都まで座れなかった、という当時の旅事情が描かれているところに清張らしさが感じられます。
 1961年の『ゼロの焦点』では、失踪した夫の行方を求めて、能登のヤセの断崖に妻(久我美子)が向かいます。映画の大ヒットのあと、ここは自殺の名所になってしまったとか。同じ断崖は1978年の『鬼畜』でも登場し、夕陽に染まる望遠での素晴らしいショットが目に焼き付いていますが、この断崖は2007年の地震で崩落し、撮影当時の面影が失われてしまったそうです。

◆宿命

 砂の器』は、ハンセン病という非常にデリケートな問題を扱っています。本浦千代吉というハンセン病の男(加藤嘉)とその6、7歳の子・秀夫(春田和秀)が故郷から追われ、巡礼姿で石川県から日本海沿岸を西に進む流浪の旅に出たのが昭和17(1942)年。その前々年の1940年に『小島の春』(監督:豊田四郎)という映画が公開されています。これは、ハンセン病患者を療養所に収容する任にあった小川正子という医師の手記を映画化したもので、その抒情的な描写で多くの人々の感動の涙を誘ったと言われています。私は見たことがありませんが、当時は、差別と偏見を恐れて在宅の患者が座敷牢に閉じ込められたり、『砂の器』の親子のように家を出て放浪の旅に出たり、という悲惨な状況にあり、療養所への隔離は非常に人道的な行為であると、この映画によって清らかに美しく描かれていたようです。実際は患者が出歩いて感染を広げないようにという名目の、強制隔離でした。
 医学的に隔離は不要だったこと、療養所の中で患者たちが人権を無視した扱いを受けていたということは、今の私たちが知るところです。強制隔離を定めたらい予防法は1996年に廃止されました。病状が進むと外見に著しい変化をもたらすこの病気は忌み嫌われ、患者が触った物に触れると感染するとか、空気感染するとか言われていたようですが、実際は感染力が極めて弱く、薬で完治する病であることが今ではわかっています。けれども、そうした差別は昔の人が非科学的で無知だったから生まれた、と言い切れるでしょうか。今回の新型コロナウィルス感染症の流行により、感染した人や医療関係者などに様々な差別や嫌がらせが生まれましたが、ハンセン病隔離期当時の人々のメンタリティーと、今の私たちはほとんど変わっていないように思います。
 映画監督として『赤西蠣太(あかにしかきた)』(1936年)、脚本家として『無法松の一生』(1943年/監督:稲垣浩)『手をつなぐ子等』(1948年/同)など、人間性あふれる作品を残した伊丹万作(1900~1946年)は、『小島の春』を批判した文章(『映画とらいの問題』1941年)(注1)で、「らいがそれ自身何らの罪でないにかかわらず、現実には、かくのごとく憎悪されずにいられないという宿命のおそろしさに目をふさいで、快く泣ける映画が作られたということはいろんな意味で私を懐疑的にしないではおかない」と語っています。しかし、実際に患者の厳しい現実を見てきた彼は「らいに関する映画が、たとえどのように正しく扱われ、正しく描かれていたとしても、私一個人はやはりそれを見たいと思わないし、そのような題材を劇映画で扱ってもらいたくない」と言っています。

◆映画と小説

 砂の器』は、丹波哲郎のベテラン刑事と森田健作(前千葉県知事)の若手刑事が犯人の足跡を追う前半と、和賀がなぜ三木謙一を殺害するに至ったかの、後半の動機の解明に大きく分かれます。小説と映画では色々な点で異なっていて、小説では和賀が現代音楽家で、超音波を利用して連続殺人を犯すという設定だそうです。超音波でたった一人の人を狙って殺すのはとても難しい気がしますが、それを連続で行ったとなると、和賀は音楽家と言うより兵器マニアのようです。
 映画はそうした殺人のトリックの代わりに、後半のヒューマンドラマに重きを置いたのでしょう。本浦親子のさすらいの旅はちょっとセンチメンタルすぎるかとも思いますが、この場面こそ『砂の器』、『砂の器』と言えばこの場面です。うねるようにラストを盛り上げる、オーケストラによる「宿命」と、刑事が語る事件の背景と、親子のさすらいの旅風景の三重奏。
 撮影は野村監督の松本清張原作映画8本のうち、『張込み』を除く7本を担当した名カメラマン・川又昂(かわまたたかし)、脚本は、橋本忍山田洋次です。橋本忍は、清張原作の6本の映画のシナリオを書いています。
 わが白井佳夫師匠と川又カメラマンの対談(注2)によれば、松本清張は映画『砂の器』を非常に気に入っていて、橋本忍の脚本を賞賛し、ラストの音楽と映像のからみ合いは小説では書けない、映画じゃなきゃできない、と語っていたそうです。本浦親子の子役が、雪の荒海のロケで帰る帰ると泣いてしまったこと、ロケ中に入った町の食堂で本当に物乞いと思われて、お婆さんがこの子の下げている箱に二百円入れてくれたことなどの裏話も、川又カメラマンが打ち明けています。

 松本清張は、自分の原作のテレビドラマ・1978年のNHKの『天城越え』に出演したことがあります。『砂の器』のような巡礼姿で、あの分厚い唇からもみだすようにセリフを語り、ドラマの終盤をギュッと引き締めていました。

 

注 
(1)出典:青空文庫/初出:『映画評論』1941年5月号
「らい」は、原題および原文では漢字で表記されています。「らい」という病名は、 1996年のらい予防法の廃止のときに正式に「ハンセン病」に改められました。

(2)対談 白井佳夫・川又昂「松本清張の小説映画化の秘密」
松本清張研究』1996年創刊号/砂書房 所収

 

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