この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

2022年 新年ご挨拶

明けましておめでとうございます。

 昨年は「この映画、猫が出てます」を可愛がっていただきありがとうございました。本年もイラスト担当茜丸ともどもどうぞよろしくお願いいたします。
 皆様からのコメントもお待ちしています。
(コメントは承認制で、猫美人が掲載してよいと判断したもののみ画面で公開しております。「コメントは書きたいけどほかの人に見られたくない」という方はその旨お書き添えいただければ公開いたしません。)

 それでは新春第一弾日本一のゴマすり男は明日公開ですので楽しみにお待ちください。

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若草の頃

  製作:1943年
  製作国:アメリ
  日本公開:1951年
  監督:ヴィンセント・ミネリ
  出演:ジュディ・ガーランド、マーガレット・オブライエン、レオン・エイムズ、
     メアリー・アスター 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    スミス家のペット
  名前:なし
  色柄:シルバーのタビー

古き良きアメリカの良き家庭を描いたミュージカル。きっと耳に覚えのある歌が・・・。

◆冬の便り

 年末が近づくと、毎年数枚、喪中欠礼のはがきが届きます。多くはご親族の方のご不幸のお知らせですが、自分と同年代の方の通知がご遺族から届くと悲しいものです。長年年賀状だけのやり取りになっていた方の妹さんから、通知がありました。猫が大好きな方で、毎年愛猫の写真を年賀状で送ってくださっていました。私がこのブログを始めたと年賀状でお知らせしたら、きっと喜んで読んでくれるだろうと思っていたのに…。
 皆さんには、今年、どんな出会いと別れがありましたか。
 今年最後の映画は、心優しく、温かい気持ちになれる映画です。

◆あらすじ

 1903年の夏のセントルイス。両親と祖父、一男四女のスミス家。三女のアグネス(ジョーン・キャロル)が泳ぎから帰って来て、「セントルイスで会いましょう」と歌う。二女のエスター(ジュディ・ガーランド)は最近引っ越してきた隣家のジョン(トム・ドレイク)の気を惹こうとソワソワ。一方、長女ローズ(ルシル・ブレマー)が電話でプロポーズされるのを期待して、頑固な父アロンゾ(レオン・エイムズ)に内緒で家族が一致団結、と、年頃の娘を抱えたスミス家は賑やかだ。
 長男のロンの大学入学祝いのパーティーに、スミス家は隣家のジョンを招待する。エスターは、今夜は彼にキスさせる、と決心、帰りかけたジョンを呼び止めて、二人きりで家じゅうの明かりを消す手伝いを頼む。いいムードになってきたのに、エスターの握手をジョンが「すごい握力だ」とぶち壊し、エスターの決心は空振りに終わる。
 秋になり、ハロウィンの夜、末っ子の5歳のトゥーティ(マーガレット・オブライエン)とアグネスが仮装して出かけるが、トゥーティが怪我をして帰って来る。トゥーティからジョンに殺されかけたと聞き、エスターはジョンの家に乗り込んでいきなり殴りかかる。実はジョンはイタズラをして咎められそうだったトゥーティをとっさに隠してくれたことがわかり、ジョンに謝りに行ったエスターは、ジョンからキスされる。
 そんなとき、弁護士の父がニューヨーク所長として栄転が決まったと告げる。クリスマスまでここで過ごし、そのあとすぐ引っ越しをする、と一人で決めているが、家族はセントルイスを離れたくない。父はみんなに良かれとした選択だと怒り、母が父をなだめるように賛成したので、みんなもそれに従う。
 冬が訪れ、セントルイスでの最後のクリスマス。3日後に引っ越すスミス家では、庭にいくつもの雪だるまを作って名残を惜しむ。ダンスパーティーで、長男のロン、長女のローズはパートナーを獲得、エスターもジョンからプロポーズされる。エスターが家に戻ると、トゥーティがまだ起きていて庭の雪だるまを見つめていた…。

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◆猫嫌い

 猫の登場場面はほんのちょっと。三女のアグネスが表からキッチンに向かって「わたしの猫は?」とお手伝いさんのケイティ―に聞きます。ケイティーからは「さっき地下室の階段で蹴ったら転がっていった」と恐ろしい回答。アグネスが「死んでたらケイティーを刺し殺して、死体を真っ二つに裂いてやる」と倍返し以上の報復を口にすると、ケイティーは「ほら、あそこ」と猫のいる場所を指さします。丸顔のむっちりした猫が椅子の上にいて、アグネスは抱き上げて自分の髪のリボンとよく似た水色のリボンを首に結んでやります。
 猫が実際に画面に登場するのはこのシーンだけですが、スミス家の近所には、毒を入れた肉を猫に与えて殺している、という噂のブローコフさんという人が住んでいます。アグネスとトゥーティは、ハロウィンの夜、そのブローコフさんをやっつけに出かけます。小さいトゥーティはみそっかす扱いされていたのに、一人でブローコフさん宅に行き「大っ嫌い」と言って手に持った小麦粉をぶつけてきます。舞台となった町ではこの頃、ハロウィンの夜、子どもたちが嫌な大人に小麦粉をぶつけて懲らしめる風習があったのでしょうか(なまはげの逆バージョンのような…)。
 ニューヨークに引っ越す話が出たとき、三女のアグネスは猫を連れて行く、と言うのですが、あちらではアパート暮らしで猫は飼えない、と聞かされ、がっかり。そう話したのはお手伝いさんのケイティーです。ケイティーはどうやら猫嫌いのようですね。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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セントルイスで会いましょう

 この映画の原題は『Meet Me in St.Louis』。1904年のセントルイス万博のテーマ曲の題名でもあり、映画の冒頭のタイトルバックにオーケストラバージョンで流れ、始まってすぐにアグネスが歌います。この曲が万博のテーマ曲だとは知りませんでした。セントルイスでは同じ年にオリンピックも開催されたというので、さぞかし賑わったでしょうね。
 1970年に大阪で開催された日本万博のテーマ曲は、三波春夫の歌声でご存じの「世界の国からこんにちは」。各地の盆踊りや、学校の運動会でこの歌に合わせて踊る(筆者の経験)、など、津々浦々に浸透していました。実は三波春夫だけではなく、坂本九吉永小百合山本リンダなどもレコーディングしていたというので驚きです。
 『Meet Me in St.Louis』がなぜ『若草の頃』という邦題になったかですが、1949年のマーヴィン・ルロイ監督の『若草物語』が同年日本で公開され、『若草の頃』の両親が同じく両親役、トゥーティを演じたマーガレット・オブライエンが三女のベス役を演じ、評判になったことから、『若草物語』より前に製作され、まだ日本では公開されていなかったこの映画を『若草の頃』と命名し、二匹目のドジョウを狙おうとしたのではないか、というのが私の推測です。古き良き時代のアメリカの温かい家庭を描いた『若草の頃』は第二次大戦中のアメリカで大ヒット、国民的な不朽の名作のひとつだそうです(けれども、黒人は一人も出てこない…)。

◆婚活=就活

 そのわりに『若草の頃』は、日本ではあまりポピュラーではありません。『若草物語』は、南北戦争の従軍牧師の父の留守宅の、母と四人姉妹のピューリタン的なつつましい暮らしが舞台になっており、祈りや戦地の父からの手紙など、終戦から4年目の日本人にとって共感できる部分があったと思います。けれども『若草の頃』は、何不自由ない裕福な家庭、ハロウィンなどの当時なじみのなかった年中行事など、日本人にはまぶしすぎたのではないでしょうか。『若草の頃』は、アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための映画、と言えるかもしれません。意外なことに、ジュディ・ガーランドの代表作『オズの魔法使』(1939年/監督:ヴィクター・フレミング)は日本ではまだ公開されていませんでした(日本公開は1954年)。

 この映画では、エスターや姉のローズなど、高校生(当時)の女性たちが結婚、結婚と血眼になっていて、今の私たちからは異様なほどに映るのですが、1903年は日本で言えば明治36年、女性は十代でお嫁に行き、結婚せず自立することなど世界中でまず考えられなかった時代です。おまけにアメリカではお見合いという習慣もないので、年頃の男女は自分で相手を探さなければなりません。お父さんも二十歳で結婚した、と話に出てきますし、成人即結婚が普通だったのではないでしょうか。
 太平洋戦争後の占領下、小津安二郎の『晩春』(1949年)は、GHQによって「お見合い」が封建制度を温存しようとしていると見なされ、検閲に引っかかりそうになったそうです(注1)。自分のことは自分で決めるのが当たり前のアメリカ社会、エスターとローズのこの姿は婚活というより就活、生存を賭けた戦いなのです。この頃の女性にはこうした選択肢しかなかったと見るべきでしょう。自分で相手を選ぶことができただけマシだったと思います。

◆クリスマスの名曲

 「セントルイスで会いましょう」のほかにもアメリカ民謡をアレンジしたダンス曲や、「The Boy Next Door」など、この映画のために作られた名曲が楽しい『若草の頃』。中でもクリスマスソングの定番「Have Yourself a Merry Little Christmas」が最も有名だと思います。映画の中では、クリスマスのダンスパーティーのあと、ジョンにプロポーズされて夢見心地で帰ってきたエスターが、窓の外の雪だるまをまだ寝ないで見ているトゥーティを見つけたときに歌われます。「年が明ければ悩みは消える」という歌詞は、戦争中の人々の心を揺さぶったはず。
 トゥーティは、「サンタさんがまだ来ない、ニューヨークに行ったらサンタさんに見つけてもらえない」とエスターに言います。エスターは、ニューヨークにもサンタさんは来るからと、トゥーティをなだめ、「何一つ残さず荷造りして持って行きましょう。雪だるまだけは残してね」と、この歌を歌い始めます。歌を聴きながらだんだんべそをかき始めたトゥーティは、部屋を飛び出し、「連れて行けないなら殺した方がマシ」と言って、泣きながら次々と雪だるまを壊してしまいます。トゥーティ役のマーガレット・オブライエンが、鼻を真っ赤にして本当に泣きじゃくっているこのシーンを見ると、つられてこちらも涙があふれてしまいます。トゥーティを庭まで追いかけて行ったエスター。それを見ていたお父さんは…。
 これから毎年、クリスマスが近づいてこの曲を耳にすると、自然と目がうるうるしてしまうかもしれませんよ。

◆虹の彼方に

 ジュディ・ガーランドは少女のときから商品として働きづめで、薬物による体重や疲労のコントロール、5回の結婚・離婚などで心身がむしばまれていきます。『若草の頃』のときには遅刻をしたり、楽屋から出てこなかったり、再三撮影を遅らせ、母親役のメアリー・アスターに注意されていたそうです。この映画をきっかけに監督のヴィンセント・ミネリと結婚し、のちに女優になったライザ・ミネリをもうけますが、1950年には離婚。1969年に47歳で、滞在先のロンドンでトイレに座ったまま死んでいるところを発見されます。「彼女の短い生涯は常に『行け、行け、ジュディ!』だった」と、メアリー・アスターは語っています(注2)。晩年のジュディの痛々しい様子は、映画『ジュディ 虹の彼方に』(2019年/監督:ルパート・グールド)に描かれています。
 虹の彼方に、彼女は何を見ていたのでしょうか。温かい映画をありがとう。ジュディの魂に幸あれ。


(注1) 『天皇と接吻』(平野共余子著/2021年/草思社
(注2) 『ジュディ・ガーランド』(デイヴィッド・シップマン著/袴塚紀子訳/1996年/キネマ旬報社


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レオン 完全版

  製作:1994年
  製作国:フランス、アメリ
  日本公開:1994年
  監督:リュック・ベッソン
  出演:ジャン・レノナタリー・ポートマンゲイリー・オールドマン
     ダニー・アイエロ 他

  レイティング:PG12(12歳未満の年少者には保護者の助言・指導が必要です)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    トニーの店の猫
  名前:なし
  色柄:グレー

孤独な殺し屋レオンが、一人の少女の復讐を手助けする。二人の間には微妙な心の交流が・・・。


◆二つの『レオン』

 『レオン』には、最初に公開されたオリジナル版と、後日約22分にわたるシーンを追加して発表された『レオン 完全版』とがあります。ここでは、『レオン 完全版』についてお話しします。ただし、表記は『レオン』と省略させていただきます。

◆あらすじ

 ニューヨークのアパートに住む一家を、麻薬を横取りした、と謎の集団が襲撃する。その家の娘・12歳のマチルダナタリー・ポートマン)はちょうど買い物に出かけていて、帰って来てその異様な様子に気づいた。マチルダは自宅の前を通り過ぎ、同じフロアに住むレオン(ジャン・レノ)の部屋のベルを鳴らす。マチルダの家には両親と姉と幼い弟がいたが、マチルダを残して皆殺しになってしまう。マチルダは、レオンの部屋に身を寄せることになる。
 イタリア系移民の殺し屋のレオンは、レストランの経営者である顔役のトニー(ダニー・アイエロ)の指示に従ってターゲットを始末し、報酬を得ていた。マチルダはレオンの稼業を知り、弟の仇を討ちたい、とレオンに訴える。レオンはトニーからライフルを調達してもらい、マチルダを訓練する。マチルダはその代わり、英語ができないレオンに読み書きを教える。マチルダは次第にレオンに対し恋愛感情のようなものを抱き始め、レオンは戸惑う。
 ある日、マチルダは、自分の一家が襲われる前日と、一家襲撃後の実況見分に家を訪れていた男を偶然見かけ、麻薬取締局のスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)だということを知る。彼が一家襲撃に関わっていたと悟ったマチルダは、レオンと一緒に、スタンスフィールドの手下たちを次々に消していくが、二人とも命の危険にさらされ、レオンはマチルダを置いて出かける。マチルダはその間に一人でスタンスフィールドを殺そうと彼に接近し、捕まってしまうが、レオンが麻薬取締局に乗り込み、マチルダを救出する。スタンスフィールドは、警察の特殊部隊を動員して、レオンを始末しようとマチルダを尾行して彼のいる部屋に踏み込んだ。レオンはマチルダを逃がし、一人で彼らと対決する・・・。

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◆猫はどこ?

 この映画、自分の猫が出てくる映画リストを見てあらためて見直したのですが、猫に気づかないまま見終わってしまいました。見終わってエッと驚き、「この私が猫が出る映画だとわかっているのに全然気づかなかったとは!」としばし呆然。しかも出るシーンまでメモしてあったのに・・・。再度見直してみて、見つけられなかった理由がわかりました。
 猫が出てくるのは、ちょうど真ん中へん、トニーのレストランにレオンが訪問する場面です。レオンの座っているテーブルの奥、壁側の隅に一人のおじいさんが座っています。この老人に目が吸い寄せられてしまうのです。ロングで引いた画面の床にグレーの猫が横たわっているのですが、老人は食事をするでもなく、飲み物を飲むでもなく、ただじっと座っているだけ。それが何か意味ありげに見えて、注意がそこに行ってしまうのです。人間の視覚は、網膜に映っているものを等しく捉えているのではなく、脳によって重要な情報を得るべく処理されているのですね。このおじいさんが普通に食事をしてたり新聞を読んだりしていれば、猫もおじいさんも意味の上では等しい存在、きっとすぐ見つかったと思うのですが。こうなると、ほかにも猫が出ているのに気づかなかった映画があるのかもしれない…ああ…。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆『グロリア』が土台に?

 『レオン』は、前回の記事でご紹介した『グロリア』をベースにしていると言われていますが、私の調べた範囲では、その根拠を見つけることができませんでした。リュック・ベッソン監督の前作『ニキータ』(1990年)には、レオンを思わせるジャン・レノの「掃除人」が登場しますが、『レオン』は『ニキータ』より『グロリア』を思い起こさせます。
 この『レオン』=『グロリア』ベース説はいつ頃からどのように広まったのかはわかりませんが、著名人の有名なエピソードなども、単なる伝説だったり、誤って伝えられていることがよくあります。前回の『グロリア』で言ったように、このような筋立ては過去から繰り返し芝居や映画になっているということ、『グロリア』も『レオン』も、そのパターンを踏まえているということから、類似作品と言えるとは思います。が、たしかにこの二つ、それだけでは説明がつかないくらいよく似ています。『レオン』が『グロリア』からヒントを得ているということは否定できないように思えます。そこを追究してしまうと著作権の問題に触れるので、あえてあいまいにされているのでしょうか。

◆クロスの関係

 試しにちょっと比較してみましょう。

グロリア
  中年の白人独身女性。元ギャングのボスの情婦
子ども
  6歳の男の子。家族はギャングに皆殺しに遭う。
  ヒスパニック系で、英語ができない。

グロリアと子どもの関係
  はじめは反発。次第に心が近づき、母と子のようになる。
敵とその狙い
  ギャングの側からの子どもの父親の裏切りへの報復。
  子どもの命と、彼が持っている手帳の奪還。

レオン
  中年の独身男性。移民の元締めに雇われる殺し屋。
  イタリア系で、英語の読み書きができない。

子ども
  12歳の白人の女の子。家族は謎の集団に皆殺しに遭う。
レオンと子どもの関係
  協力的。次第に女の子が恋愛に似た感情を抱く。
敵とその狙い
  家族を殺された子どもの側からの、相手への報復。

 このように、それぞれの背景や立場がクロスした関係になっていることがわかると思います。そして、両方とも見たことがある方でしたら、ラストもクロスした関係にあることをご存じでしょう。
 ほかにもよく似ているところがある二つの映画ですが、『グロリア』には殺しのテクニックや血や遺体がほとんど描かれないのに対し、『レオン』には、それらが多く登場します。

◆二人の接近

 レオンとマチルダの交流は、ある日レオンがアパートに帰ってきて、廊下でふてくされてタバコを吸っているマチルダに声をかけられたところから始まります。レオンは、マチルダの顔に殴られたようなあざがあるのを見つけます。マチルダは、父と継母、腹違いの姉と折り合いが悪く、虐待を受けていて、4歳の弟とだけは心を通わせていました。
 マチルダを保護したものの、レオンはその稼業からマチルダをかくまい続けることはできないと追い出そうとすらします。が、弟の仇を討ちたい、とマチルダが決心をするあたりから、二人は対等に近い力関係になってきます。さらに、アパートを引き払い、親子を装ってホテルに逗留する手続きをレオンに代わって済ませ、ライフルを調達させ、訓練に付き合わせ、次第にマチルダが二人の関係をリードしていくかのようになります。レオンは、引きずられるように洗濯や家事をするマチルダを受け入れ、読み書きを習い、それが二人の日常となっていきます。

◆物真似合戦

 そんな日常に飽きたマチルダが、気分転換に物真似を始めます。マドンナやマリリン・モンローの真似をしても全くピンと来ないレオン。性的魅力を売り物にする女性に興味がないのでしょうか。が、チャップリンの物真似で、なんか見たことがあるぞ、という反応を見せ、『雨に唄えば』(1952年/監督:ジーン・ケリースタンリー・ドーネン)の物真似で、「ジーン・ケリー」と当てます。交代して、レオンが『リバティ・バランスを射った男』(1962年/監督:ジョン・フォード)のジョン・ウェインの真似をすると、今度はマチルダがピンと来ないで「クリント・イーストウッド?」と言います。
 この前に、レオンが、一人で映画館でジーン・ケリーが出る『いつも上天気』(1955年/監督:ジーン・ケリースタンリー・ドーネン)を見るシーンがあります。これもミュージカル映画で、ローラースケートを履いたジーン・ケリーが、街中を滑りながら歌い踊ります。レオンがとても楽しそうで、ニコニコ笑って見ているのですが、ほかのお客さんも楽しんでるかな、という感じで後ろを振り返ると、客席はガラガラ。レオンのように楽しんでいる人は見当たりません。私も似たような経験があって、『雨に唄えば』をどこかの名画座で見たときに、マチルダも真似をしたあの有名な雨の中で踊るシーンで、私は軽く拍子をとったりするほどノッていたのですが、お客さんはけっこう入っていたのに静まり返っている。私のように興奮している人はいなさそうで、ちょっとがっかりしたのです。
 英語の読み書きができないレオンにとって、ミュージカル映画は歌や踊りで気楽に楽しめる息抜きだったのでしょう。実際、移民社会アメリカでは、字幕やセリフがいらないドタバタ喜劇映画が、多種多様な国々から集まった人々に受け入れられた、という歴史があるのです。

◆男と女、大人と子ども

 町の男の子と話していたマチルダを男の子から引き離し、上品な言葉遣いをしろ、タバコはやめろ、と、レオンもマチルダに支配的な言動をするようになっていきます。そして、ある日、女らしいピンクのレースのワンピースをプレゼントします。それに全く関心を示さなかったマチルダは、レオンが麻薬取締局から自分を救い出してくれた夜、それを着てレオンの前に現れます。そして「女の子の初体験は大事」と、レオンに身をまかせようとします。けれども、レオンは、若い頃の悲恋の話をマチルダに聞かせ、マチルダと距離を置きます。マチルダはレオンをベッドに横たわらせ、その腕枕で眠ります。
 このくだりは人によって受け止め方が違う部分でしょう。
 純粋に二人の間に、対等な恋愛感情があったのか、
 マチルダは、レオンに父や兄のように甘えられる男性として愛着の念を抱いていたが、その感情と恋愛の区別がつかなかったのか
 レオンは、マチルダを妹のようにかわいく思っていただけなのか、恋愛感情を抱き始めていて、それを自制したのか
 過去の悲恋の経験がマチルダを抱かない理由となり得るのか
 レオンが、レースのワンピースをマチルダに贈ったのは、自分のものにしたいという所有欲の表れか、保護者のようなつもりでマチルダのおしゃれした姿を見たかったからか・・・。

 少女と大人の男の恋愛をにおわせる部分はぼかされ、どのようにでも解釈できる『レオン』。クールな殺し屋ですが、レオンはどこか精神的に未熟な感じがします。彼が大量に飲むミルクは体づくりのためですが、彼の幼児性を象徴しているようにも思えます。マチルダは、そんな彼にとって結果的にファム・ファタール(男を破滅させる宿命の女性)だったのでしょうか…。

◆死ぬために生きている

 さて、私は、こういうアクション映画とか、現実の戦争とか、働き方などを見ていて、男という生き物は、どうやって死のうかということをテーマに生きているのではないか、と常々思っています。自分が死ぬときはこういうふうにして死にたい、という理想の死に方、ないしは大義を思い描いて、そのシナリオを進んでいるように思えてなりません。男女というくくりで物を言うといまは叱られたりしますが、哺乳類のメスは、自分が死んでしまうと子どもも死んでしまうし子孫も増えないし、で、まず自分が生存することを最優先にするように遺伝子的にインプットされていると思います。死のうとする生き物と生きようとする生き物、そんな違いが、『レオン』と『グロリア』の間にもあるような気がします。

 ジャン・レノと、これがスクリーンデビューのナタリー・ポートマン、今となってはこの二人以外に考えられない配役。麻薬取締局のスタンスフィールド役のゲイリー・オールドマンの偏執的な怪演も、抜きにして考えることはできません。ダニー・アイエロが演じた、いい人そうに見えて怪しいトニー。彼の二面性にレオンは気づいていないのか。彼がマチルダにどのように関わっていくのかが、映画を見終わった後も気がかりです。


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グロリア

  製作:1980年
  製作国:アメリ
  日本公開:1981年
  監督:ジョン・カサヴェテス
  出演:ジーナ・ローランズ、ジョン・アダムス、ジュリー・カーメン 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    グロリアの飼い猫
  名前:なし
  色柄:茶白のブチ

子ども嫌いの中年女・グロリアが命を懸けて拳銃を放つ。6歳の男の子を守るために。


◆走る凶器

 昭和の頃は「走る凶器」と言えば自動車を指しました。「交通戦争」と言うくらい、自動車による交通事故がいまよりはるかに多かったのです。いまは列車などの交通機関の中で、乗客に切りつけたり放火したりなどの凶悪な犯罪がたびたび起こり、逃げ場のない乗り物はそれ自体が内部から凶器となる危険をはらんでいると思い知らされます。
 この『グロリア』には、主人公のグロリアが、地下鉄の車内で待ち伏せをしていた二人のギャングと殴り合いになる、という場面があります(先に殴ったのはグロリアです)。そのとき、周りにいた乗客たちがギャングの男たちを取り押さえ、なかなか市民たちの対応がしっかりしているなと思っていると、今度はグロリアがピストルを出してギャングに狙いを定めます。このときの乗客の反応は? 日本だったら阿鼻叫喚、取り押さえたギャングなど放ったらかして、グロリアの半径2メートルくらいから人がいなくなると思うのですが、わりと周囲が落ち着いているのは、銃に慣れたアメリカだからなのでしょうか?

◆あらすじ

 ニューヨークのブロンクスのアパートに住むプエルトリコ人の一家を、ギャングが襲撃する。父親はギャングの組織の会計で、横領したうえ、その資金の情報をFBIとCIAに洩らしていたのだ。襲撃される直前、父親は6歳の息子のフィル(ジョン・アダムス)にギャングの情報を記した手帳を渡し、妻(ジュリー・カーメン)の親友で同じアパートにいるグロリア(ジーナ・ローランズ)にフィルを託す。父親に追い払われるようにしてフィルがグロリアの部屋に隠れている間に、一家はギャングに惨殺された。グロリアは停止線の張られたアパートからフィルを連れて逃げ出すが、フィルを誘拐した容疑をかけられてしまう。
 フィルの手帳を奪おうとギャングは二人を追うが、実はグロリアはギャングたちと知り合いだった。以前、ギャングのボス・タンジーニの女だったのだ。グロリアはフィルを連れてニューヨークを転々とする。子ども嫌いなグロリアとフィルは初めは互いに反発していたが、ギャングを相手にフィルを守り抜こうとするうちに、グロリアにフィルへの愛情が芽生え、フィルもグロリアに信頼を寄せていく。
 執拗に追手に行く手を阻まれ、ついにグロリアは、かつての愛人だったタンジーニのところに乗り込んで、フィルの身の安全を守るため取引を決意する。グロリアは「3時間半待って私が戻らなかったら、ピッツバーグ駅で待っている」とフィルに言い残し、泊まっていたホテルを後にする・・・。

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◆もっと出番を

 グロリアは、フィルたちと同じアパートの同じフロアに住んでいます。一家が襲撃される直前、彼女はフィルたち一家の部屋を訪れます。行きがかり上フィルを引き受けたものの、ギャングの報復の怖さを知っていたグロリアは、手早く荷造りをしてフィルを連れて部屋を後にします。グロリアに心を開かないフィルがグロリアの猫にだけは笑顔を見せたので、猫を連れて逃げるつもりだったのか、大柄で重そうな茶白の猫を胸に抱いています。けれども、フィルがパパたちを心配して家族の部屋に駆け込もうとするのを止めようと猫を手離し、背後の廊下を歩いている姿を最後に、それっきりになってしまいます。その後も猫を思い出したり、どこに行ったのか探すそぶりもないので、ずいぶん薄情に思いますが、フィルとの逃避行を見ていると、とても猫など連れて歩ける状況ではなく、ここでのお別れはやむを得なかったかと・・・。
 主人公が探偵や警察官だったり、危険な仕事などに出かけたりというときに飼い猫を置いていく(預けていく)、という場面が描かれる映画はけっこう多いです。猫の出番はたいてい置いていかれるところまでのちょろっとで、主人公が帰ってきた後どうなったのかまで描いているものはあまりありません。私はそれがとても気になってしまいます。主人公はそのストレスの多い生活を、普段、猫に慰められているはず。だからこそ帰って来て猫のことに無関心のはずはないのですが、映画の都合上、そこは省略。残念と言うか、猫に「役不足で申し訳ありません」と謝るべきか・・・。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆シンプルさの中に

 この映画、ストーリーはシンプルです。①悪の組織の情報を握った者がその悪事の証拠を誰かに託して殺され、②その託された誰かも悪の追手に命を狙われるが、③その誰かを助ける第三者が現れ、④協力しながら逃亡する、というもの。大昔から背景や登場人物を変え、繰り返し芝居や映画になっている筋書きですね。日本の時代劇やヤクザ映画などでも多く見られるパターンだと思います。そのストーリーの中を、中年女性グロリアと男の子フィルが、ほとんど二人芝居のように駆け抜けていきます。
 いまさらながらのストーリーなのに、最後まで目を離すことができないのは、ジョン・カサヴェテス監督の歯切れのよい演出と、監督の妻であるジーナ・ローランズの独特の個性、「自分は一人前の男だ」と強がるフィルのいじらしさにあるでしょう。
 映画が始まると、夜景のロングショットでニューヨークのビル群と、ヤンキースタジアムが映ります。そして、次第に夜が明け、1台のバスがこちらに向かって走ってきます。その乗客のヒスパニック系と見える女性が降りようと立ち上がると、バスが揺れて転倒、降りたときにも買い物袋を道にひっくり返してしまう。ようやくアパートの入り口に入ると、不審な男が立っている・・・そういう短いカットをつなぎながら、この女性が何かただならぬ状況にあるという想像がかきたてられていきます。
 女性はフィルの母親で、一歩家に入るとギャングに狙われている夫と家族の間で、今すぐ逃げなければという激しい口論が始まり、そこにパジャマの上にコートを羽織ったグロリアが「コーヒー飲ませて」とゆるい感じで登場します。あまりきちんとした感じのしない、かと言ってくずれたと言うほどでもない中年女性・・・。

ジーナとカサヴェテス

 グロリア役のジーナ・ローランズは、普通の人なのか、アブない人なのか、その境界線上にいるような、独特の存在感のある女優さんです。画面に登場すると、その場のすべてを引っ張っていくような磁力を放ちます。美しい髪の色も、きれいな脚のラインも印象的です。
 このグロリアはまた性格が悪い。フィルをグロリアに託そうとすると、「私は子どもは嫌いなの」。ここまではわかりますが、フィルの母親と親友だというのに「特にあんたの子どもはね」とはあんまりな。
 グロリアを誘拐犯ではないかとテレビが報じたとき「女の名はグロリア・スウェンソン、グロリア・スワンソンをもじった名前でしょう」と言いますが、グロリア・スワンソン1920年代に活躍した実在の大女優。ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950年)で、自身を地で行く往年の大女優として主演しています。主人公のグロリアを、わざわざ自身の脚本で、そのグロリア・スワンソンと紐づけるように名付けたジョン・カサヴェテス監督の意図は何か、と引っ掛かります。『サンセット大通り』では、かつての往年の大女優の屋敷の執事(映画監督のエリッヒ・フォン・シュトロハイム)が、実は彼女の黄金期に彼女を起用していた映画監督で、自分はいまも大女優であるという妄想に取り付かれている彼女を支えています。ジョン・カサヴェテスは、ジーナ・ローランズをミューズ(詩や音楽の神。転じて、男性芸術家の創造の源となる女性)とする映画監督である自分をその執事になぞらえ、主人公をグロリア・スワンソンを連想させるような名前にしたのでは、と私は想像しています。
 ジョン・カサヴェテスジーナ・ローランズは共演も多く、1983年の愛を巡る映画『ラヴ・ストリームス』で最後に共演しています(カサヴェテス自身が監督)。また、カサヴェテスは映画『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年/監督:ロマン・ポランスキー)に、ローズマリーの夫役、TVの『刑事コロンボ』の「黒のエチュード」というエピソード(日本では1973年に初放送)に、犯人役で出演しています。いい男で、さぞかし女性にモテモテだったと思います。カサヴェテス監督は1989年に59歳という若さで亡くなりました。老境に至った二人が新しい映画を作っていたら、またどんな味わいのものを生み出していただろう、と思います。

◆守りたいもの

 フィルを預かったとき、グロリアはぶつぶつ言いながら荷造りをします。「貯金もある、住むところもある、猫もいる・・・」気楽な独身生活、50代くらいで、歳をとる前に好きなことをしてのんびり、というときにとんでもない運命に巻き込まれてしまったわけで、フィルを置き去りにしようとすらします。ところが、グロリアには犯罪歴があり、ギャングの愛人だったという過去もあり、と、次第に訳ありの女だということがわかってきます。けれども、それが逃避行の間の彼女の冷静な判断の原動力となっています。「先にやらなきゃやられる」と言い放ち、いざという時ピストルで相手を威圧することを躊躇しません。これはまた、日本の女性任侠映画の主人公のような・・・。
 白人女性のグロリアが、ヒスパニック系の男の子を守るということは、白人の男の子を守ることとは違った意味を持つと思います。フィルは英語が話せない、ということになっており(実際は英語のセリフですが)、フィル自身が「あんたはスペイン系じゃない」と自分とグロリアの違いを意識しています。フィルが、父に言い聞かされたとおり、自分は家長である、強い男である、という自覚を守っているのも、また、ギャングに襲撃されたとき父がフィルと姉という二人の子どものうち、男の子のフィルをグロリアに託すのも、男子が家を継ぐという父権的な伝統ゆえだと思います。
 グロリアとフィルが汚い安ホテルに泊まって心を通わせる夜のベッドシーン(!)がとてもいい。
 ずっと思いつめたような表情のフィルを演じたジョン・アダムスの映画出演は、この1本だけのようです。『グロリア』には、全編、悲哀にむせび泣くようなスペイン風の音楽が流れています。

◆必死の愛

 グロリアは、追いかけて来たギャングの車に向って拳銃を放ち、車をひっくり返したのを皮切りに、何度も拳銃を構え、撃ち、ギャングも応戦し、激しく戦いますが、どの場面でも血はほとんど流れません。残虐な遺体の描写もありません。そして、警察から誘拐犯と目されているのに、追いつ追われつする相手はギャングのみで、警察とギャングとに挟み撃ち、などのようなサスペンスを盛り上げる派手な演出もありません。カサヴェテス監督はこの映画で、スリルとサスペンスにところを借りて、「愛」を描いているのです。正直言えば、おばちゃんがアクションをやってもキレは甘いし野暮ったい。けれどもその野暮ったさをむき出しにした「必死の心」が痛いほど伝わってくる、それが『グロリア』です。
 車社会のニューヨークに、サスペンス物と言えば付き物のカーチェイスもありません。グロリアとフィルが逃げ回る時に利用するのは、もっぱらタクシー。10回も乗り換え、バスや地下鉄、列車などの公共交通機関も使います。この、タクシー、バス、列車、駅など、ニューヨークの街の動脈と鼓動、ニューヨークの貧しい裏側を伝えるロケ映像が、この映画のもう一つの魅力となっています。
 3時間半後、グロリアとフィルが会えたのかは、あなたの目で確かめてください。


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