この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

キューポラのある街

逆境に屈せず、自分の未来を自分の手で切り開く中学生ジュン。吉永小百合の人気を決定づけた昭和中期の名作。

 

  製作:1962年
  製作国:日本
  日本公開:1962年
  監督:浦山桐郎
  出演:吉永小百合東野英治郎浜田光夫、市川好郎、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
  近所のドラ猫
  名前:なし
  色柄:茶白のブチ
     (モノクロのため推定)

◆きゅぽらんのいる街

 東京と荒川を隔てて隣接する埼玉県川口市キューポラとは、川口で江戸時代から盛んになった鋳物工業の溶解炉のこと。それが突き出た煙突の独特な形が川口のシンボルとなっていたそうです。そんな川口のキューポラは、この映画によって全国的に有名に。いまは、かつての鋳物工場が集まっていたあたりは住宅が立ち並んでいるようですが、荒川近くにキューポラがある工場が見られたり、市内のあちこちに鋳物の街を思わせるモニュメントが見られるそうです。JR京浜東北線川口駅前にはキュポ・ラという複合商業施設も。映画が公開された1962年に、川口市制施行30周年を記念して制定された市民歌(作詞・サトウハチロー、作曲・團伊玖磨)にも「キュウポラ」が登場します。ちなみに、1964年の東京オリンピックの聖火台は、この川口の鋳物製。
 そして満を持して登場したのが川口市のマスコット「きゅぽらん」。きゅぽらんは「きゅぽらんの部屋」で今日も川口市の魅力情報を発信していますよ!

◆あらすじ

 鋳物工場のキューポラと呼ばれる溶解炉の煙突が立ち並ぶ川口。中学3年生のジュン(吉永小百合)の父(東野英治郎)も鋳物工場の昔気質の職人だったが、首切りに遭ってしまう。ジュンの下には生まれたばかりの赤ちゃんも含め弟が3人。進学志望のジュンは、友だちのヨシエ(鈴木光子)が働くパチンコ屋でアルバイトして学資を稼ぐことにする。
 父はなかなか職人の仕事にありつけず、お酒を飲んでは理不尽に子供たちを叱る。ジュンの友だちのお父さん(下元勉)からせっかく紹介してもらった鋳物工場での仕事も、自動化された作業工程になじめず、ジュンが修学旅行に出発する日の朝、やめてやると騒ぎ出す。父がやめたら高校に行けない、と気が沈んだジュンは修学旅行をすっぽかしてしまう。お金に困った母(杉山徳子)は、少し前に内職をやめて飲み屋の接客係として働き始めていた。酔客と大騒ぎしている母を偶然見かけてそれを知り、ショックを受けたジュンが町をフラフラ歩いていると、リスちゃんという不良っぽい女の子に会い、遊びに連れていかれる。ジュンはあやうく不良青年たちに暴行されそうになるが、ジュンが修学旅行に行かなかったことを知った隣の家の克巳(浜田光夫)がジュンを探しに刑事とそこに現れ、ジュンは難を逃れる。
 学校に来なくなってしまったジュンを先生(加藤武)が訪ね、定時制でも通信制でも勉強はできる、と励ます。そんなとき、ヨシエが北朝鮮に行くことになった。ヨシエの弟のサンキチはジュンの弟のタカユキ(市川好郎)の大親友。在日朝鮮人のお父さんは、北朝鮮での生活を選んだのだ。お母さんは日本人で、日本に残るという。ヨシエはジュンに愛用の自転車を譲って旅立つ。
 ところが、サンキチはお母さん恋しさに途中で戻ってきてしまう。しかし、お母さんは誰かと結婚すると、どこかへ行ってしまっていた。
 ジュンは、就職を考えて工場に見学に行く。そこでは、ジュンと同じような立場の女子工員たちが、定時制高校で学びながら生き生きと働いていた。そんなとき、父が、元いた工場の事業拡大によって再就職することになった。両親は、ジュンに志望校への進学を促すが・・・。

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◆ドラ猫と鳩

 この映画に出てくる猫、私が今までに見た映画の中での、ドラ猫ナンバーワンです。
 映画の舞台となった1960年代頃には、伝書鳩の飼育ブームがありました。私の家の斜め前の家のお兄さんも、物干し台の上に鳩小屋を作ってよく世話をしていましたっけ。ジュンの弟のタカユキは伝書鳩を繁殖させて、ヒナを売って小遣い稼ぎをしています。不良のノッポ(ジュンたちのお父さんをクビにした雇い主の息子)は、ヒナが生まれたら買い取る約束をしていて手付金をタカユキに払っていたのですが、そのヒナがドラ猫にやられてしまうのです。弟がタカユキを呼びに来て、見ると、屋根の上でドラ猫がヒナを仕留めたところ。タカユキが猫に向って石を投げると、猫は屋根から降りて路地を走って逃げるのですが、『めし』(1952年/監督:成瀬巳喜男)のときと同様、屋根ドラと路地を走って逃げるドラ猫は柄の違う別の猫。屋根の上の猫と、地上の猫ってそんなに撮影の手間が違うんでしょうか? この屋根ドラは、百戦錬磨の強者ヅラ。ヒナの上にのしかかる様は猫を超えたふてぶてしさです。このシーンだけでも必見です。
 ヒナがやられてしまったのに、タカユキは手付金をノッポに返せず、泥棒の手伝いをさせられてしまいます。ジュンがそれを知ってタカユキを止めに行き、不良たちのたむろするビリヤード場に乗り込んで自分のアルバイト代から返すと交渉するのですが、その過程で不良に唇を奪われるという羽目に。罪作りなドラ猫め。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆「親に向って」「女のくせに」

 骨太の力強い音楽とともに、鋳物工場の作業現場が映し出されます。溶けた鉄を桶に入れ、男たちが人手で運ぶ姿。逞しさと労働の尊さとともに、一歩間違えれば事故につながりかねない危険を感じます。
 『キューポラのある街』は、1964年の東京オリンピックの2年前、敗戦によって外圧で変化を遂げた日本が、時の池田勇人首相の「所得倍増計画」のもと、豊かで近代的な国家を目指そうと内側から変わって行った頃の話です。吉永小百合が健気な少女を演じ、多くのサユリストを生むきっかけとなった映画ですが、戦後の民主的な教育を受けた若い世代と、父たちの古い世代の価値観の対立が鮮やかに描かれています。重いテーマを明るい理想へのあこがれに導く、少しくすぐったくなるくらいな爽やかさです。

 ジュンの父の辰五郎は、2年ほど前の作業中の怪我で足を傷め、人並みの重労働ができないのですが、それを理由に解雇されてしまいます。同じ工場で働く隣の家の青年・克巳が、それを不当だと、事業主の松永を「自分は妾を囲って車まで買って」と難詰するのですが、辰五郎が「親方が妾持って何が悪い」「てめえら青二才に何がわかる」と親方をかばうのです。当の親方まで「こいつらに職人の土性骨ってもんを叩きこんでもらいたいね」と、辰五郎に指示し、克巳の言うことに耳を貸そうとしません。松永と辰五郎は、親方・職人の、昔ながらの義理人情で堅く結ばれ、労働法などを超越した関係なのです。克巳は辰五郎の意外な反応にあっけに取られてしまいます。
 辰五郎のアナクロニズムは自宅でも全開。タカユキを理由も聞かず殴ったり、それをジュンが注意すると、「親に向ってその口のきき方はなんだ」「女のくせに」と、話し合いなど不能です。たっぷりと戦前の封建的な空気を吸って成人し、ジュンから「無知蒙昧」と言われようが「自己中心主義」と言われようが、子どもは親の言うことを黙って聞くものとして育った世代です。

◆にんじん

 この映画には、労働組合、学歴社会、在日朝鮮人の帰還事業などの、この時代らしいテーマも盛り込まれています。
 タカユキは、父とケンカして「家出してやる」と飛び出し、芝川のコオロギ島というところに住むサンキチを訪ねます。ジュンとタカユキも貧しい暮らしですが、サンキチの家は、それをはるかに超える貧しさです。川っぷちのじめじめしたところに建つバラック。「くず鉄買入れ」の看板が出ています。お姉さんのヨシエは学校が引けるとパチンコ屋で働き、それを知っていた仲良しのジュンは、パチンコ屋で一緒に働かせてもらうのです。少し陰のあるヨシエに対し、サンキチは天真爛漫。当時人気のあった野球解説者の小西得郎の真似をして「なんと申しましょうか・・・」と言ったり、同級生のカオリちゃん(岡田可愛)に片思いしていたり。
 サンキチは日本での思い出に、学芸会のお芝居でカオリちゃんの相手役を演じます。演目は「にんじん」。ところが客席の同級生が「朝鮮ニンジン!」とはやし立て、会場は大混乱、同級生はタカユキにボコボコに殴られる騒ぎに。悪さを繰り広げるタカユキとサンキチに『大人は判ってくれない』(1959年/監督:フランソワ・トリュフォー)をちょっと思い出しませんか(タカユキは和製アントワーヌ・ドワネル?)。
 ジュンがヨシエの家に行こうとすると、父が朝鮮の子なんかと付き合ってんのか、となじります。このような差別は今も消えていないどころか、一部ではエスカレートしています。
 1910年、日本が韓国を併合、その後日本に仕事を求めて渡ってきた(あるいは徴用された)朝鮮半島出身者が、日本の敗戦後、日本国籍を失い、朝鮮戦争によって南北に分かれ変貌した祖国に居を移すのは容易ではなかったと思います。彼らを受け入れたのは北朝鮮ですが、彼らのほとんどは韓国側にあたる南部の出身者だったそうです。ヨシエたちのお父さんは博奕はする、暴力は振るうで、お母さんが愛想尽かしをしてしまったよう。お母さんは北朝鮮について行きませんでしたが、日本人の妻で当時「地上の楽園」と言われた北朝鮮に渡った人たちも少なくなかったようです。

◆変わる職場

 ジュンは修学旅行をすっぽかして、ぶらぶらと志望校の県立第一高校に向います。校庭を見るとブルマー姿の女子生徒がマスゲーム中。指導者の軍隊のような掛け声がかかります。このマスゲームは、ジュンが見学に行った工場の昼休みのコーラスの場面と対比されます。
 工場を案内してくれた先輩社員と社員食堂で一緒に昼食をとっていると、食堂の外で、数十人の女子社員の「手のひらの歌」のコーラスが始まります。笑顔で指揮をしている元気な女子社員は今年から定時制で学び始めた、と先輩が語り、コーラスの輪をジュンがまぶしそうに見つめます。その生き生きとした姿は、あの県立第一の一糸乱れぬ規律正しい演技とは違った、血の通ったものを感じさせます。一家の経済を考えて働きながら勉強する、という合理的な理由に加えて、ジュンは歌う女子社員たちに自立する誇りと喜びを感じます。迷いはふっきれます。

 1950年代から1960年代の、サラリーマンの職場を描いた映画を見ると、よく昼休みに屋上でバレーボールをしたり、コーラスをしたり、という和気あいあいとした光景が出てきます。「手のひらの歌」のような団結や明るい未来を訴えかける歌を歌う「うたごえ運動」や、労働組合が主催する活動、休日にハイキングに行く、などのサークルも盛んです。ある意味、それが男性社員と女性社員の出会いの場でもあったわけですが、こうした家族的な職場の雰囲気、いまはほとんど失われてしまったのではないでしょうか。
 週休二日制の導入によってそれまでの土曜日の分の労働時間が月曜から金曜に割り振られ、一日当たりの所定労働時間が長くなったこと、だからといって終業時刻をあまり遅くすることができないので、昼休みを短くした会社が多かったこと、土曜日の仕事のあとお昼をみんなで食べに行ったり、遊びに行ったりという機会がなくなったことなどが影響していると思います。テレワークの普及は、今後職場にどのような変化をもたらすでしょうか。

◆時代の潮目で

 歌と言えばこの映画には、日活のスター・小林旭の歌謡曲が流れ、植木等の「スーダラ節」も流れます。ジュンたちのような貧しい人々のいる一方で、「スーダラ節」のようなサラリーマンのお気楽さを歌った歌が流行しているところに、高度経済成長の波とそれに取り残される人々の間の格差が暗示されています。「ダボハゼの子はダボハゼだ」「中学出たらみんな鋳物工場で働くんだ」という父の言葉を打ち消すように、定時制高校に進み、近代的な会社での勤めを選ぶジュン。この映画での「スーダラ節」は父の時代の終わりを告げる歌に聞こえます。
 監督の浦山桐郎は監督デビューの本作で、日本映画監督協会新人賞を受賞、キネマ旬報第2位。社会派監督として高く評価され、10本の劇映画を残して54歳で没。この映画では今村昌平と共同で早船ちよの原作を脚本化しています。
 がっちりした大人の名優たちの正攻法の演技、対照的な子役たちの屈託のなさが光る『キューポラのある街』。スタッフ・キャストの、いい映画を作りたいという熱い思いが伝わってきます。きれいすぎる、と言われるかもしれませんが、いまこんな映画は作れないでしょう。


◆参考 『在日朝鮮人 歴史と現在』(水野直樹、文京洙/2015年/岩波書店
 

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大人は判ってくれない

60年以上を経てもなおみずみずしい、ヌーヴェル・ヴァーグの代表的名作。

 

  製作:1959年
  製作国:フランス
  日本公開:1960年
  監督:フランソワ・トリュフォー
  出演:ジャン=ピエール・レオアルベール・レミークレール・モーリエ 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    親友の家の飼い猫6匹くらい?
  名前:なし
  色柄:長毛の黒、グレーなど(モノクロのため推定)

◆大人は信じられない

 『大人は判ってくれない』というタイトルを目にすると必ずと言っていいほど思い出すのは、中学1年か2年のときの出来事です。学校で、何かのアンケートだったか、生徒の性格傾向を知るためのものだったか、それほど考えこまずに回答できる質問が書かれた紙が配られて、友だちと読み上げながら記入していました。「大人は信じられないと思うか」という質問を読み上げたとき、友だちがガバッと顔を上げて「当り前じゃない~!」と眉根にしわを寄せたのです。前の日に親と何かあったか、わずか13、4年の人生ですべての大人を否定したくなるほどの経験をしたのか、それについては何も聞きませんでしたが、気楽に記入していた空気を一変させたその反応の速さ、揺るぎない確信に、ただただ私は圧倒されたのでした。

◆あらすじ

 パリに住むアントワーヌ・ドワネルジャン=ピエール・レオ)は13歳、学校では先生に目を付けられていて、今日も授業中に立たされた。両親は共働きで、父(アルベール・レミー)はぱっとしない勤め人。家族仲はあまりよくなく、両親はよく喧嘩をする。母(クレール・モーリエ)から家の用事を言いつけられることも多く、狭いアパートで息の詰まるような毎日だ。
 ある朝、登校途中に友だちのルネ(パトリック・オーフェー)に声をかけられ、二人で学校をさぼって遊びまわる。街角でアントワーヌは、母が知らない男と抱き合ってキスしているところを目撃する。母は深夜まで帰らなかった。
 翌日、学校に前日の欠席理由を「母が死んだ」と届け出るが、アントワーヌが欠席したことを知った両親が学校に来て嘘がばれ、叱責を受けたアントワーヌは家出してしまう。ルネの叔父の工場に隠れて一晩過ごし、そのまま登校すると母がやって来てアントワーヌを連れて帰る。母は意外に優しく今度作文で5番以内に入ったらお小遣いをやる、と言う。
 アントワーヌは感銘を受けたバルザックの文章そっくりの作文を提出して、丸写しにしたと叱られ、かばったルネと停学になる。二人はルネの家から金を持ち出して遊び歩くが、金が尽きるとアントワーヌが父の会社からタイプライターを盗んで金に換えようとする。うまくいかず、タイプライターを戻しに再びオフィスに忍び込んだところを捕えられ、父に引き渡される。
 父はアントワーヌを警察に連れて行き、手に負えないと訴える。両親に見放されたアントワーヌは少年鑑別所に送られてしまう。面会日にやって来た母から冷たい言葉を浴びせられたアントワーヌは・・・。

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◆リッチな猫

 フサフサな毛の動物を「モフモフ」と形容するようになったのは、いつ頃から何がきっかけだったのかは知りませんが、この映画に出てくる猫は全員見事なモフモフです。猫が登場するのは中盤あたり。
 作文丸写し疑惑で停学を言い渡されたアントワーヌは、クラス委員を殴って逃げ、家に帰るに帰れずルネの部屋に転がり込みます。ルネの家は大金持ち。ルネの部屋には実物大の馬の美術品が無造作に置かれていて、アントワーヌは部屋に入ると真っ先にそれに目を奪われます。その高額な馬の背中に1匹、脚の下に1匹、傍らのルネのベッドに2匹、ペルシャだと思いますが、黒やグラデーションがかったような暗い色の猫がいます。さらに母親の部屋にも同じような猫が2匹。1匹は金庫の隣に番猫のように居座っています。その後の食堂のシーンにいる猫はそのうちの1匹か? いかにもお金持ちの家にふさわしいゴージャスな猫たち。
 アントワーヌのアパートは狭く、彼にはちゃんとした部屋やベッドがない様子。台所の脇の通路に置いた長椅子らしき物の上で寝袋にくるまって寝ています。知らない男とキスしていた母が深夜に帰ってきたとき、母はそこで寝ているアントワーヌをまたぐようにして部屋に入ってきます。父母の喧嘩が始まれば内容はすべて筒抜け。その環境に比べるとルネの家は夢のようなお屋敷ですが、ルネの親もまた子どもには無関心なようです。夕食に母は不在、父は食後会合に出かけてしまいます。まったく違う家庭環境に暮らすアントワーヌとルネは、お互いの中に共通する孤独を嗅ぎ当て、心を許す仲になっていったのでしょう。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆やりたい放題

 『大人は判ってくれない』―この邦題は必ずしも映画の内容をぴったり表しているとは言えないかもしれませんが、傑作だと私は思います。インパクトがあり、言葉がストレートに入ってきます。この題名とこの映画の公開を、当時自分がリアルタイムに体験出来ていたら、どんな風に感じただろうか、と思います。原題の『Les Quatre Cents Coups』は、直訳すれば「400回の打撃」だそうですが、フランスでは女の子の素行の悪さを指す表現で「悪ふざけ」「やりたい放題」くらいの意味だそうです。ところがアメリカでは原題を直訳、『The 400 Blows』として公開。さらにすごいのはドイツで『少年はキスされた、また鞭打たれた』という題になったそう(注1)。いかにこの邦題がよいセンスだったかがわかるかと思います。
 1959年5月のカンヌ国際映画祭にて上映され、当時の模様を撮影したフィルムに、着飾った客席の人々から万雷の拍手を贈られるジャン=ピエール・レオが嬉しそうに映っています。それまでのフランス映画を舌鋒鋭く斬り捨てる批評家として知られたフランソワ・トリュフォーが、初めて手掛けた長編映画。その当時の衝撃と興奮を想像することは、どんなに調べても映画を見ても、かないません。

◆涙

 主人公のアントワーヌは13歳。反抗期・思春期の入り口、と思いますが、映画を見る限り、アントワーヌは自分から大人に攻撃性をあらわにすることはありません。性への関心も、娼婦とかかわろうとしたことは話の中では出てきますが、まだ準備段階といった様子です。
 反抗期と言えば、親に口をきかない、母親から小言を言われたり何か頼まれたりすると「うるせえ、ババア」と悪態をつく、といったところが相場ですが、アントワーヌにはそういう言動は見られません。それどころか、家出して母に迎えに来られ、家でお風呂に入れてもらい、体を拭いてもらったり、ママのベッドで寝なさいと言われたりして、素直にうれしそうにしています(さすがに、作文の成績がよかったらお小遣いをあげると言われたときは、この間知らない男とキスしているところを見られたのでご機嫌を取ろうとしているのだな、と思ったのか、無表情になりますが)。
 バルザックの文章に感銘を受け、彼を崇拝するかのようにロウソクの灯をかかげ火事になりかけたとき、いつものように両親からひどく怒られず、みんなで映画に行ったときも心からの笑顔を見せます。子どもとしてかまってもらえたことがうれしくてたまらないといった表情です。
 母親が死んだなどとすぐばれる噓をついたり、刹那的に家出したり、タイプライターのような大きくて重い物を盗んでもてあまし、返しに行ったり、やることなすこと善悪と言うより結果を推測して行動できない幼さが目立ちます。もう自分は子どもじゃないという反抗期・思春期の自己主張ではなく、甘えさせてもらえ、悪いことをしても大目に見られる子ども時代に自分はまだいると思い込んでいるようです。
 留置場から護送車に乗せられたとき、鉄格子のはまった窓から夜のパリの街を見つめ、アントワーヌは初めて涙を流します。それは悔恨の涙とか、親や友だちと引き離される寂しさ、と言うより、法によって罰せられるという現実社会に初めて直面したショックが流させた涙ではないかと思うのです。

◆自伝と分身

 とは言っても、子どもの問題には周囲の大人の影響があることは言うまでもありません。この映画はほとんどトリュフォー監督の自伝と言っていい内容で、すべて現実にあったことだとトリュフォー自身が言及しています。両親との関係、教師との関係、信頼できる大人がそばにいなかったのは不運です。が、トリュフォーは感情に流すことなく、アントワーヌを客観的に描きます。
 父がアントワーヌを警察に突き出してからラストまでの流れには、現実に体験した者でなければ描けないリアリティが感じられます。警察の部屋の中に動物用のケージのような留置場がしつらえてあり、先に一人の青年がいる、寝ていると売春婦たちが連れてこられ、アントワーヌだけが別の一人用の狭い檻に移される、鑑別所では少年たちが外で運動する間、近所の子どもたちが動物園の檻のような囲いに入れられるなど、一種、ドキュメンタリーの様相を呈しています。鑑別所での精神科の女医との面談は、トリュフォー自身の話なのか、アントワーヌの役の上での話なのか、ジャン=ピエール・レオの話なのか、区別がつきません。
 ラスト前の演出を排した長回し、説明なく現れる「FIN」の文字。トリュフォーカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。ちなみにこの年のカンヌの最高賞パルム・ドールマルセル・カミュ監督の、リオのカーニバルを舞台としたフランス映画『黒いオルフェ』(1959年)。『大人は判ってくれない』と対照的な、とても物語性の強い幻想的な映画です。

 『大人は判ってくれない』のタイトルバックには、移動撮影で、エッフェル塔が角度を変え、パリの街のあちこちに姿を見せるところが映し出されますが、本編の中にはエッフェル塔は姿を見せません。アントワーヌと同じような少年時代を送ったトリュフォーの、子どもの頃お金がなくてエッフェル塔を目印に歩いて帰るとき、袋小路に迷い込んだり、エッフェル塔が大きく見えたと思ったら消えてしまったり、という記憶を反映しているようです(注2)。華やかなパリのシンボルであるエッフェル塔が、寒々と寂しそうに見えます。

 アントワーヌ・ドワネルは、以後、トリュフォーの映画に成長しながら再三登場し、いずれもジャン=ピエール・レオが演じています。アントワーヌはトリュフォーの分身であり、それを演じ続けたジャン=ピエール・レオは、トリュフォーにとって宿命的な存在だったのでしょう。当たり役のある俳優の常として、レオはアントワーヌ役のくびきに苦しんだそうですが、1978年の『逃げ去る恋』を最後にアントワーヌを卒業します。

◆ポスターとサイン

 トリュフォー監督は、日本の中平康監督の『狂った果実』(1956年)を高く評価し、ゴダール溝口健二を絶賛し、大島渚監督は日本のヌーヴェル・ヴァーグの旗手として『青春残酷物語』(1960年)を発表するなど、新しい波は国を越えた影響と刺激のうねりも生みました。トリュフォー1984年に52歳で亡くなります。
 わが白井佳夫師匠は、フランス・ヌーヴェル・ヴァーグの監督の中で、トリュフォーがいちばん好きだそうで、来日したトリュフォーと2度会っているそうです。アントワーヌが護送される前、留置場でセーターを口まで引っ張り上げ、横眼遣いをするところを描いた野口久光氏デザインの日本版のポスターを目にしたことがある人も多いかと思います。そのポスターをトリュフォーがお気に入りで、終生自分の部屋に飾っていたということですが、師匠も同じポスターを持っていて、書斎に飾っているということです。師匠にはもう一つ、トリュフォーとの対談のとき「一人の映画馬鹿からもう一人の映画馬鹿へ」という献辞と共に、師匠の名前を入れて署名してもらったトリュフォーの著書、という自慢の品があるそうです(注3)。いつか実物を見せてもらえたら、と思っています。


(注1) 『トリュフォー最後のインタビュー』(山田宏一蓮實重彦/2014年/平凡社
(注2) 「映画と人生が出合うとき」(山田宏一/『大人は判ってくれない』フランソワ・
     トリュフォーマルセル・ムーシー著 /2020年/土曜社 所収)
(注3) 「こころの玉手箱(3)」(白井佳夫日本経済新聞2021年7月14日夕刊)

◆参考
 映画『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールトリュフォー
 (2011年/フランス/監督:エマニュエル・ローラン)

 

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地下鉄のザジ

パリを舞台に繰り広げられる、こまっしゃくれた女の子の招くドタバタ劇!

 

  製作:1960年
  製作国:フランス
  日本公開:1961年
  監督:ルイ・マル
  出演:カトリーヌ・ドモンジョ、フィリップ・ノワレ、ヴィットリオ・カプリオーリ、
     カルラ・マルリエ 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
  街中の猫×2匹
  名前:なし
  色柄:キジトラ、黒

◆ギャングエイジ

 小学校3、4年生くらいの年代を、ギャングエイジと呼ぶのだそうです。小集団を作ってつるんで行動する様子を「ギャング」にたとえたわけで、決して悪事を働くわけではありませんが、この年代は親や先生の言うことを聞かなかったり、無茶や乱暴なことをしたり、子どもたち同士で秘密を共有する、といったことも増え、少し悪い子になったように見えることもあるようです。ザジもギャングエイジです。おかっぱ頭に、永久歯に生え変わったばかりのすき間のある前歯。子どもだと思って甘く見ていた大人は、次々手玉に取られてしまいます。

◆あらすじ

 ザジ(カトリーヌ・ドモンジョ)は10歳の女の子。お母さんが恋人と会うためにパリまでザジを連れて来て、弟、すなわちザジの叔父さんのガブリエル(フィリップ・ノワレ)にあずけ、あさっての朝ね、と言い置いて恋人といなくなってしまう。ザジはパリで地下鉄に乗るのを楽しみにしていたが、あいにく地下鉄はストライキ中。叔父さんは知り合いのタクシー運転手のシャルル(アントワーヌ・ロブロ)の車で家に向かうが、ザジの生意気でませた言動に叔父さんもシャルルも目を白黒。叔父さんの家でもザジは家主を言い負かしてけろっとしている。美しいアルベルティ―ヌ叔母さん(カルラ・マルリエ)だけは、そんなザジに涼しい顔。
 翌朝、ザジは一人で黙って家を出て地下鉄の駅に行く。相変わらずストが続いていて泣いていると、中年男(ヴィットリオ・カプリオーリ)に声をかけられる。ザジは男と蚤の市に行ったり、追いかけっこをしたり、レストランで食事をしたりしながら嘘かほんとかわからない話で男を翻弄、叔父さんの家まで送り届けてもらう。男は、アルベルティーヌ叔母さんを見て一目惚れ。叔父さんに追い出されてしまう。
 午後、ザジと叔父さんとタクシー運転手のシャルルはエッフェル塔見物に出かけるが、シャルルはザジの恋愛に関するツッコミに閉口して一人でタクシーを運転して帰ってしまう。叔父さんは紫色の服を着た婦人にベタベタつきまとわれ、そこに警官が駆け付けるが、それは婦人をアルベルティーヌだと思って駆け寄ってきた、今朝がたザジと一緒にいた中年男だった。叔父さんはエッフェル塔ツアーの客に無理やり観光バスに乗せられてしまい、紫の婦人が地下鉄ストのあおりの大渋滞の間を縫って、ザジと警官を乗せた車で叔父さんを追いかける。
 叔父さんはバスから脱出、ダンサーとして働くナイトクラブにたどり着く。紫の婦人は叔父さんから警官へと心変わり、警官はアルベルティーヌ叔母さんを追いかけ、叔母さんは叔父さんのショーの衣裳を届けに自転車を走らせ、ザジは夜のパリの街をさまよう。
 運転手のシャルルと恋人のマドが婚約し、レストランでのお祝いで、ドタバタの大げんかが始まる。大騒ぎの中、いつの間にかザジがテーブルで疲れて眠っている。叔父さん夫妻がザジを抱いて地下に逃げ出すと、地下鉄が動き始める・・・。

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◆絶妙の登場

 この映画には追いかけっこの場面が何度も登場します。猫が登場するのは、始まってから全体の三分の一ほど進行した、あとで警官とわかる中年男とザジの追いかけっこの最中です。
 はじめに登場するのは、パッサージュと言われる、パリの屋根付き商店街の猫。キジ猫らしき1匹が店の方から通りに出て来て、ザジと男の追いかけっこを一瞬立ち止まって眺めたあと、「かかわっちゃおられん」とばかりに走って逃げます。商店街に住んでる猫でしょう。ロングショットで毛色もはっきりしませんが、いい味出してますねぇ。ザジと男の追いかけっこは5分以上続きますが、撮影にはその何倍もの長さをかけているはず。その長い長いフィルムから、この部分、猫の役者ぶりが監督の目に留まって使われたのでしょう。
 2匹目の猫は、追いかけっこをしながら、建物の外に置いてあるブリキのゴミバケツにザジが飛び込んで、男が蓋を閉じて上から座り込み、中から叩く音がするので開けてみると、ザジではなく1匹の黒猫がモグラたたきのように顔をのぞかせる、というもの。こちらはもちろん撮影用に準備された猫です。たったこれだけのカットですが、猫を相手に狙った絵が撮れるまでどれくらいの時間がかかったことか。それでもうれしいことに映画監督たちは猫を使うことをやめようとしません。猫好きとしてはその心意気に応えなくては。これからも渾身の猫ショットを数ある映画の中から探していこうと思います。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆感じたい

 『地下鉄のザジ』は、好きと言う人と、好きではない、と言う人に分かれる映画ではないかと思います。その「好きではない」の中に、「よくわからないから」という理由が含まれるのではないでしょうか。わからなくても、これを見たときに自分の中にどういう反応が起きるかを観察するのが感じるということですが、大人になるとどうもそういうのが苦手になってきます。
 私はモダンバレエやコンテンポラリーダンスなどをやっていたことがあり、自分で振付をしたりしたこともあるのですが、踊りとしては抽象的な表現のジャンルです。舞台を見てくれた人から言われて困るのは「あれはどういう意味?」と聞かれること。たとえば「山」という題名の作品を作って、山の神秘性とか豊かさなど、自分のイメージを身体を使って表現し、そこから山を感じてもらうのがこちらの方法なのですが、具体的に山的な見え方を表さないと「難しい」「わからない」と反応してしまう人がいるのです。もちろんこちらの表現力不足という問題もあるので「山というより海だよね」と「感じて」もらえればいいのですが、真面目な方は理解しようとしてしまうようです。
 この映画も、レーモン・クノーの原作をルイ・マル監督が自分自身で感じ、こう表現したいと作り上げた、独自の創作物です。別の人が作れば全く違った映画になるはず。表現というものは一つとして人と同じになることがなく、その表現のもとになっているのが感じるということ。感じるということもその時その人に固有のものです。『地下鉄のザジ』が繰り出してくるサプライズにどう自分が反応するか、とにかく体験してみましょう。

ヌーヴェル・ヴァーグ

 一度は見て感じてみたい20世紀のハチャメチャコメディ『地下鉄のザジ』。1950~60年代のフランス映画と言えば、ヌーヴェル・ヴァーグの時代です。ヌーヴェル・ヴァーグとはどんな映画を表すのか、という問いに対して簡単でズバリ核心をついた説明を、いままで私も聞いたことがないのですが、やはり、それ以前の映画にはなかった新しい表現の波、としか言いようがなさそうです。映画学校で技術を磨いて監督になる、という通常のコースではなく、映画批評などを書いていたトリュフォーのような人がいきなり映画を作ってしまうというような現象や、撮影スタジオのセットを使わないなどの製作方法も、その中には含まれるようです。その当時は新しいと感じられた表現が、その後に育った人たちには当たり前となってしまっていることも、わかりにくい理由かと思います。ヌーヴェル・ヴァーグの担い手と言われている映画監督たちの作品を実際に見ることでその「感じ」を掴むことが、結局一番の近道ではないでしょうか。
 ルイ・マル監督は『死刑台のエレベーター』を1958年に発表して、一躍注目を浴びます。実は、『地下鉄のザジ』の中には、ヌーヴェル・ヴァーグの映画のパロディと思われる場面がいくつか見られます。
 たとえば、ザジが叔父さんに連れられて家にやってきたとき、家主の傍らでレストラン従業員のマドと恋人のシャルルが愛をささやく場面で、映像がとぎれとぎれに飛ぶのは、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960年)で使われたジャンプ・カットという技法。ザジと追いかけっこをした中年男がアルベルティーヌに一目ぼれするシーンは、ルイ・マル自身の『恋人たち』(1958年)、ザジが夜、パリの街をあてどもなくさまよい、バックにジャズが流れるシーンは『死刑台のエレベーター』の自己パロディでしょう。また、「ヌーヴェル・ヴァーグは最低」と言うザジのセリフが飛び出したりもします。

◆自然に帰れ

 そんな遊びの見える『地下鉄のザジ』で、ルイ・マル監督が伝えようとしているものはなんでしょう? 私には、やはり「感じる」ことの大切さではないかと思えます。子どもの目から見た大人の世界の批判・風刺と言う人もいるようですが、私にはそんな思惑とは関係なく、ザジはザジとして勝手にあるがままにふるまっているだけに見えます。ザジの行動から教訓や批判を読み取ろうとするのは、大人の「理解」しようとする心の動きではないかと思います。
 大人を批判しているのは、ザジではなく、ルイ・マル監督です。
 たとえば、エッフェル塔見物に行ったとき、叔父さんは、塔の鉄骨や手すりすれすれのところをよじ登ったり歩いたりします。見ているこちらのお尻の下がムズムズするような場面ですが、叔父さんは怖がるどころか無表情で、何やら難しい哲学的なことをつぶやいています。私にはこれが感じようとせずに理屈に走ろうとする大人の姿を象徴しているように思えるのです。
 もし、この頃、ヌーヴェル・ヴァーグとは何ぞやという論争が起きていて、あれはどうだの、彼は違うだなどの議論にルイ・マルが巻き込まれて辟易するというような状況があったとしたら「理屈はどうあれ、私は私の撮りたいように撮るだけ」と、ルイ・マルの呈した態度表明が『地下鉄のザジ』だったのではないか、と私は想像しているのです。『地下鉄のザジ』は、あなたは感じることができますか、とルイ・マルがつきつけた挑戦状のように思えます。コメディではありますが、笑わせに行っている映画ではありません。
 エッフェル塔のシーンで叔父さんがブツブツつぶやいていた話の内容を覚えているでしょうか? 誰もが覚えているのは、ヒヤヒヤした感覚の方だと思います。理屈より感じろよ、というのがルイ・マル監督の主張ではないでしょうか。

◆地上のザジ

 と、いったようなことも、公開から60年以上経過する間にとっくの昔に誰かが言っているかもしれませんのでこれくらいにします。いまも根強いファンが多いこの映画、ザジにまったく悪意がないところや、古典的なスラップスティックには、いまでは驚きよりノスタルジックな安心感を覚えるでしょう。導火線に火がついた爆弾を持たされる、というギャグ、昔はよくありましたっけ。食べ物を乗せたお皿を投げ合うという場面は、いまではNGでしょうね。
 ザジが一日パリを走り回って眠くなってしまったり、せっかく楽しみにしていた地下鉄が動いたのに無関心なのには、とても子どもらしさを感じます。生意気なようでもやっぱりおチビさん。ザジを演じたカトリーヌ・ドモンジョはわずかな映画出演後、19歳で映画界を退いたそうです。
 ガブリエル叔父さんを演じたフィリップ・ノワレと言えば、『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年/監督:ジュゼッペ・トルナトーレ)の映写技師アルフレードが印象的でしたね。『地下鉄のザジ』のエッフェル塔のシーンや、ナイトクラブでのラインダンスのシーンで、あの大柄な体をしなやかに動かしているので驚きました。
 気になる登場人物と言えば、美しいアルベルティーヌ叔母さんです。ほとんど表情も感情も動かず、いつも口元にギリシャ彫刻のようなアルカイックスマイルを浮かべています。これも何かのパロディとか? 警官のヴィットリオ・カプリオーリはレバノンに逃げたあの人物にちょっと似ていたりして・・・。

 『地下鉄のザジ』なのに、普通の列車からの眺めで始まり、普通の列車からの眺めで終わります。これがまた真面目な人を「どうして」と困惑させてしまうかもしれませんね。

 

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