この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

『怖がる人々』より 「乗越駅の刑罰」

5話からなるオムニバスホラー映画の3話目。26分弱の長さの中に凝縮されたブラックな笑いに戦慄!

 

  製作:1994年
  製作国:日本
  日本公開:1994年
  監督:和田誠
  出演:斎藤晴彦萩原流行花王おさむ 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    捨て猫4匹
  名前:なし
  色柄:??

◆面白いけれど怖くなる

 『怖がる人々』は、第1話「箱の中」(原作/椎名誠)、第2話「吉備津の釜」(同/日影譲吉)、第3話「乗越駅の刑罰」(同/筒井康隆)、第4話「火焔つつじ」(同/平山蘆江)、第5話「五郎八航空」(同/筒井康隆)からなるオムニバス。すべて和田誠が監督しています。
 筒井康隆の短編小説『五郎八航空』を読んで面白かったので、映画化されたものを長年見たいと思い、やっと念願がかなって古い録画の『怖がる人々』を見たのですが、「五郎八航空」よりもすっかり「乗越駅の刑罰」にはまってしまいました。前者が空想的・漫画的なのに比べ、「乗越駅の刑罰」は、誰もが日常、ふとしたはずみで陥りそうな恐怖を描いているのです。はじめは笑って見ていたこちらも、だんだんと底なしの地獄に引きずり込まれていくようで、こわ~い。

◆あらすじ

 ローカル線の小さな駅「野里越」。久しぶりの里帰りで中年の小説家・入江又造(斎藤晴彦)がたった一人降り立つ。ポケットをあちこち探るが、切符が出てこない。改札口には誰もいない。駅員が来る気配もなく、又造は切符を出さずにそのまま改札口を通り過ぎる。
 そのとき若い駅員(萩原流行)が又造を背後から呼び止める。駅員は又造をにらみつけ威圧的な態度。又造が途中の駅から電車に飛び乗って、車内で切符を買おうと思って忘れてしまい、切符を持っていないとあやまると、駅員は、初めから無賃乗車しようとしたと決めてかかり、又造に悪口雑言を浴びせる。又造が罰金も含めてお金を払うと言えば「金持ちだということを見せつけようとする」と言い、急いでいると言えば、「ただの里帰りでなんでそんなに急ぐ」と、徹底的に反撃される。駅務室に連れ込まれ、名を名乗れば「いやらしい雑誌におかしな小説を書いている」とあざけられ、七年ぶりで里帰り、と言えば「母親をほったらかして七年も帰ってこなかった」と説教。又造の椅子を蹴り倒して、刑事ドラマさながらの「取り調べ」をやめようとしない。
 そこへもう一人の年配の駅員(花王おさむ)が紙袋を抱えてやってくる。「いい物拾った。子猫が4匹入ってる」と、紙袋からミーミー、子猫の鳴き声がする。年配の駅員は、駅務室の奥で煮立った鍋の中に子猫をドボドボ落としてしまう。又造が驚いて、金を渡して去ろうとすると、年配の駅員は
「3枚か、じゃ当駅自慢の猫スープ、3杯食わしてやるよ」。
又造が食べたくない、と逃げ出そうとしても、駅員二人は「食べたくないならなぜこの金を出したんだ」「俺たちを買収するつもりか!」「それを小説に書くつもりなんだ!」と容赦なし。実家の母と弟が駆け付けるが、二人とも駅員に味方する。
 猫のスープが出来上がった。
 又造はみんなに押さえつけられ、鍋一杯のスープを口の中に流し込まれてしまう・・・。

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◆袋の中身

 実はこの映画、猫の姿は出てきません。紙袋の中にも、鍋に子猫を落とすところにも、フェイクのぬいぐるみすら出てきません。もっぱら声のみの出演です。ご安心ください。もし、猫をスープにするという見立て自体が不快という方がいらっしゃいましたら、ご容赦お願い申し上げます。
 「猫が出てくる映画」ということで、これまで猫の登場場面がしっかり確保されている映画をご紹介してきましたが、実はほんの一瞬しか猫が出てこない映画もいっぱいあります。はじめからそういう瞬猫映画ばかり紹介していては、猫好きの皆様からお叱りを受けるだろうと思って控えておりましたが、そろそろいいかしら、と今回はちょっと声猫映画を出させていただきました。
 瞬猫映画を取り上げても、猫が出てくる映画のネタが尽きて、苦し紛れにちょっとしか猫が出てこない映画でお茶を濁してる、と思わないでくださいね。知る人ぞ知る瞬猫映画を発掘・ご紹介するのも、楽しみの一つなのですから。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆マルチな才人和田誠

 監督の和田誠は、イラストレーターであり、グラフィックデザイナーであり、エッセイも書き、妻が料理研究家平野レミさんである、あの和田誠です。2019年に83歳で他界されました。タバコのハイライトのデザインをしたことで有名です。
 わが白井佳夫師匠がキネマ旬報の編集長だった頃、映画の名セリフ・名場面を集めた『お楽しみはこれからだ』を連載(のち単行本化)、表紙イラストを描き、師匠のいくつかの著書の装丁を手掛けて、師匠とも交流がありました。『監督の椅子』(1981年 話の特集)という師匠の本では、表紙にこの本でインタビューされた10人の映画監督(今村昌平山本薩夫増村保造大島渚森崎東寺山修司森谷司郎深作欣二長谷川和彦東陽一)の、ディレクターズチェアに座っているイラストが、裏表紙には師匠が同じポーズで座っているイラストが、シンプルな線画で描かれています。
 また、週刊新潮以外の週刊誌の多くが女優の写真を表紙に使っていた昔、週刊文春が1977年から和田誠のイラストに変え、新風を吹き込みました。かわいい子猫がちょこんとおすわりしている表紙が記憶に残っています。題名は「いぬのおまわりさん」(まいごのまいごのこねこちゃん・・・/作詞:佐藤義美)。
 映画では、『麻雀放浪記』(1984)や『怪盗ルビイ』(1989)などの監督作品、そのほか、絵本など著書も多数。
 2021年4月の朝日新聞の「語る」という、妻の平野レミさんが自身の半生について語った連載記事で、仲の良かった夫婦のエピソードを読みましたが、レミさんの自由と個性を尊重する和田氏のおおらかな人柄に、こんな人がパートナーだったらと、うらやましくなるよう。
 この映画では劇中歌も作曲していると、エンドクレジットに出ていますが「箱の中」での子守歌とか「吉備津の釜」のコーラスとか、全部彼の作曲なのでしょうか。
天はときどき一人の人間に二物も三物も与えてしまうものなのですね。

◆真昼の暗黒

 ちょっとくらいいいだろうと思って普段はしないようなルール破りをしたら、その時に限って誰かに見つかりとっちめられるという、誰もが一度は経験するようなことを、とことんオーバーに、不条理に描いたこの話。ちょっとした過ちによって取り返しのつかない運命に陥った人間の、苦悶のうめきが聞こえてくるようです。萩原流行演じる偏執的な駅員、自動改札のなかった時代、どこの駅にも一人くらい、こういう感じの悪い駅員がいたように思いませんか? 
 入江又造がああ言えば、駅員がこう言う、というセリフのやり取りがなんといっても面白いのですが、それを抜き出して説明したくても、全体の流れから一か所を取り出して説明するのは無理。人が悪意をもって他人を見ると、どう釈明しても聞き入れてもらえない、その出口のない恐怖を感じます。原作を書いた筒井康隆の筆が生きているところですが、わたしは、筒井康隆自身がどこかでこれに類する経験をしたのではないかと感じています。

◆ねたみの恐怖

 主人公は入江又造という作家。いまは人気作家として名が売れています。駅員は、彼がいい服を着ている、お金を持っている、ということをねたんで執拗に攻撃します。そして、故郷である野里越に7年ぶりでやってきたのも、有名になってお金があるところを見せびらかすためだ、年老いた母を弟に押し付けて自分だけ勝手に暮らしている、金があるのに手土産も持ってこない、と責めます。母も、里帰りに来たって家でゴロゴロするだけ、弟の方さえいてくれればいい、と言い、弟は、又造が書いたエロ小説が載った夕刊紙を持ってきて、みんなの前でそれを読み上げる・・・。
 自分と同じような取るに足らない人間だった知人が成功すると、嫉妬から揶揄するというのは人間によくあること。又造の故郷の野里越の人々は、同郷の人間が都会に出て行ってうまいことやった、ということに異常な敵意をむき出しにします。
 筒井康隆は、作家として成功してから、古い知り合いからいわれのない中傷を受け、それをヒントにこの「乗越駅の刑罰」を書き上げたのではないかと私は思うのです。あるいは、駅員さんとかお巡りさんとか、こういう帽子をかぶっている人に執拗にいじめられたことがあるとか。どちらも単なる私の想像ですが、この想像を裏付けるような情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら「コメント」でお知らせいただければ幸いです。

 この話は、4匹の子猫にまつわる意外な幕切れをするのですが、私の好きなラストではありません。人間の悪意が起こす恐怖に徹してほしかった、と思います。
 猫を捕まえてはスープにしているらしい野里越駅に、動物愛護週間のポスターが貼ってあるのがまたブラックです。

◆レアものの快作

 簡単にほかのエピソードもご紹介しましょう。
 第1話の「箱の中」は、エレベーターの中に閉じ込められた見ず知らずの男女(真田広之原田美枝子)を描いています。原田美枝子の服装や髪型が、バブル期の女性の典型的スタイル。女が次第に異常な言動を見せ、男が逃げられない空間で恐怖に陥る物語です。
 第二話「吉備津の釜」もバブルファッションの熊谷真実清水ミチコが登場。熊谷真実清水ミチコから世話された就職口を訪ねるときに、子どもの頃に聞いた言い伝えを思い出し、危うく難を逃れるというミステリー。筒井康隆が企業の人事担当者役で出演しています。
 第四話「火焔つつじ」は、行きずりの男女(小林薫黒木瞳)が雨宿りの夜にねんごろになると、女が引き寄せた怨念が奇怪な光景となって現れる話。
 第五話「五郎八航空」は、雑誌社のカメラマン(嶋田久作)と編集者(石黒賢)が、台風の中、農家のおかみさん(渡辺えり子)の操縦する小さな飛行機に乗って、いまにも墜落しそうになりながら帰社する漫画チックな一作。昔のドタバタ喜劇のようなチープな雰囲気で、苦笑してしまいます。

 『怖がる人々』は技巧的にはとても素朴な映画ですが、短編らしい無駄のない運びで、どの話もキャストがよく、家でビールでも傾けながらくつろいで見るのに最適な、ライトな味わいが魅力です。
 ただ、VHS以外のソフトが発売されていないようで、見る手段が限られていると思います。紹介しておいてすみません・・・。

 

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シェイプ・オブ・ウォーター

2017年度アカデミー賞4部門(作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞)を受賞した話題作。不思議な生き物と女性のファンタジックなラブストーリーです。

 

  製作:2017年
  製作国:アメリ
  日本公開:2018年
  監督:ギレルモ・デル・トロ
  出演:サリー・ホーキンスマイケル・シャノン
     リチャード・ジェンキンスダグ・ジョーンズ 他
  レイティング:R15+(15歳以上の方がご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公の隣人ジャイルズの飼い猫
  名前:なし
  色柄:白地に茶色のブチや長毛の三毛など4、5匹?

◆レイティングについて

 この作品のDVD、ブルーレイではオリジナル無修正版として、R18+(18歳以上対象)のものが売られていますが、この記事はネット配信や放送で見られるR15+(15歳以上対象)版のものです(内容的にほとんど違いはありません)。
 このブログは高校生以上の方を主な読者と想定して、今後ともレイティング(年齢による鑑賞制限)については、高校生の方も見ることができるR15+以下の作品を取り上げていくことにしています。

◆あらすじ

 耳は聞こえるが口がきけないイライザ・エスポジート(サリー・ホーキンス)は、アメリカの航空宇宙研究センターで清掃員として働いている。時は1962年。冷戦下、アメリカとソ連の宇宙開発競争が激しかった頃だ。ある日、そこに不思議な生き物(ダグ・ジョーンズ)が極秘裏に運び込まれる。水を満たしたカプセルに閉じ込められたその生き物は、半魚人と呼ぶべき姿。その生き物にひきつけられたイライザは、手話によって彼とコミュニケーションをとることができるようになる。宇宙開発競争で一歩リードしたソ連を出し抜こうと、水陸で呼吸のできるその生き物を研究材料にするため、生体解剖の命令が下ったことを知り、イライザはアパートの隣人のジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)や同僚の黒人女性・ゼルダオクタヴィア・スペンサー)、生物研究者として赴任してきた、正体はソ連のスパイのホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)の協力で彼を脱出させ、自分のアパートに連れ帰る。イライザの生き物への気持ちは恋というほどに高まっていた。ついに二人は肉体的にも結ばれる。
 研究センターでその生き物の警備を仕切っていたストリックランド(マイケル・シャノン)は、生き物が組織的なプロ集団によって奪われたとにらんでその行方を追っていたが、ゼルダの夫の話でイライザが関わっていたことを知る。アパートのバスタブで弱っていく生き物を、イライザは海に逃がすことを決意した。彼を車に乗せて水門に向かったイライザとジャイルズにストリックランドが迫る・・・。

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◆猫にまっしぐら

 イライザの隣人のジャイルズは、猫好きらしく、自室に何匹も猫を飼っています。全部で何匹いるのか、少し暗めの画面のためちょっと区別がつきにくく、自信はありませんが、4匹は確かなようです。最近の映画は生き物の姿をCGで作り出したりするので、この猫たちは作り物かもと目を凝らしたのですが、本物のようでした。猫の出番は序盤から終盤までほどよくばらけて、思い思いに過ごす自然な姿がかわいいです。
 イライザのアパートに連れてこられた不思議な生き物は、ジャイルズが居眠りをしている間に一匹の猫に目を止め、襲って食べてしまいます。「本能だから仕方がない」とジャイルズはあきらめていましたが、そのあとでこの生き物がほかの猫とたわむれていると、子猫と遊ぶなとビクビクしながら注意します。
 もしお手元にこの映画のソフトや録画をお持ちでしたら、食べられてしまった猫が襲われるときの表情をスローで再生してみてください。鼻や目の上のひげがバーッと花火のように放射状に広がり、カッと開いた口から鋭い牙がむき出しになって、みなぎる野性に圧倒されます。もし猫がもっと大きい生き物だったら、人間なんかとても太刀打ちできないだろうという迫力です。
 食べられてしまった猫さんに、心から哀悼の意を捧げます。 

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆ファンタジーの幕開け

 映画が始まり、水中の藻に覆われた物体の中にカメラが進むと、建物の廊下と照明が姿を見せます。廊下のドアがゆっくりと開くと、椅子やテーブルが水中を漂い、アイマスクを付けた女性が横たわっている様子が浮かび上がります。と、目覚まし時計のベルで、主人公イライザの夢が終わり、現実が始まります。画面外から聞こえるナレーションと、子守歌のような音楽と、水のたゆたいによって、夢幻的な陶酔感に満たされていた観客も、我に返ってその出勤風景を忙しく観察し出します。
 声が出せないイライザは、30代くらいで、地味な外見で、性的な魅力に乏しいタイプです。好きなものは一昔前のミュージカルのダンス。隣室に住む友人のジャイルズは、頭の禿げかかった初老のイラストレーター。彼のイラストは時代遅れで、仕事にあぶれています。二人とも独身で助け合って生活していますが、ジャイルズは同性愛者で、二人の間に恋愛や結婚の可能性はなさそうです。そんな二人の住む古ぼけたアパートの1階は、テレビの普及のおかげでガラガラな映画館。
 自分を含め身の回りのすべてが時代から取り残された感のあるイライザがバスで向かった勤め先が、最先端の航空宇宙研究センター。一瞬エッと思いますが、彼女は汚れたトイレやごみと格闘する清掃員。いつも二人組で掃除をする黒人女性のゼルダが気の合う友だちです。

◆マイノリティとよくいる男

 宇宙へ、高みへ、世界の覇者へと、上昇しようとするアメリカ社会の床を這いつくばって掃除するイライザ。その床よりさらに低い、アマゾンの汚れた川の中に棲んでいた生き物が運び込まれます。生き物の警備をするためにやってきたのがストリックランドという中年男性。
 彼がイライザとゼルダと観客の度肝を抜くのが「手を使わないでオシッコをすること」。それって珍芸(?)ではあるけれど、男としての優秀さを証明することになるのか、と思いますが、ストリックランド君、自分が普通の男と違うすごい男なんだと、ドン引きしているイライザとゼルダを尻目に猛アピール。自分より弱い者に向かって自分は出来ると威張って見せる奴ほど劣等感を隠しているものですが、案の定、囚われの生き物を電気ショックの警棒で虐待したり、自分の姿が神に似ているとか、高級車のキャデラックに乗るとか、肥大した自己イメージに酔いしれています。イライザを抱こうと口説くのも、障がい者である彼女をおもちゃにすることにサディスティックな欲望をかきたてられたのでしょう。

 ストリックランドの志向していたものは、競争に勝ち、富と名誉と権力を手にするという、男性的成功モデルそのもの。共産圏の国々と対立し、世界のリーダーたらんとしていたこの時代のアメリカの価値観と同一化した姿、と言っていいと思います。
 この映画では、それと対立するグループとして、マイノリティの群像が描かれます。イライザは声が出せない、同僚のゼルダは黒人。女性であるということは今でもそれだけでマイノリティに属します。隣人のジャイルズは同性愛者。ソ連のスパイであるホフステトラーならずとも、共産主義者はこの時代のアメリカ社会の敵でした。
 そして一番のマイノリティは文明の彼方から来た不思議な生き物。彼が生体解剖されそうになったとき、イライザは「彼を助けなければ私たちも人間じゃない」と、必死にジャイルズに訴えます。マイノリティグループに属する登場人物たちは、この生き物を対等の存在と認め、協力して助け出します。

 ストリックランドは尊大にふるまっていますが、軍の中で重要なポジションにはありません。この生き物の警備を任されたのが千載一遇のチャンス。功績を上げて認められようと血眼なのです。はた目には哀れですが、自分ではそれに気が付いていません。どこの会社の中間管理職にもこんなのがいそうです・・・。

◆大アマゾンの半魚人

 ギレルモ・デル・トロ監督の映画のモンスター役と言えばダグ・ジョーンズ。今回の不思議な生き物は、少し不気味だけれど、丸い目でちょっと愛嬌があり、セクシーな体つき。思ったよりこわくない、というのが私の感想です。彼によって、この映画が子供向けファンタジーになったり、イライザとの恋が嫌悪感をもよおすものになったりするので、キャラクターデザインは重要です。姿は、やはり半魚人と言うのがぴったりくるでしょう。彼がアマゾンから連れてこられたと何度か繰り返されるのは、1954年のアメリカ映画『大アマゾンの半魚人』(監督:ジャック・アーノルド)を土台にしていると思われます。
 こちらは、文明対非文明、人間対怪物という、怪物ホラーものの典型ではあるものの、半魚人の基本的なデザインは『シェイプ・オブ・ウォーター』の生き物に敬意をもって取り入れられていることがわかります。
 『シェイプ・オブ・ウォーター』の生き物がなぜ航空宇宙研究センターに運ばれてきたのか、疑問に思いませんでしたか? 「宇宙で人類は過酷な環境にさらされる」「この生物(の研究)でソ連にリードを」というなんとも漠然とした説明でしたが、本来なら水中の生物の研究所に送られるのが妥当なはずです。実は『大アマゾンの半魚人』の中で、海洋生物の研究者が、将来人類は他の惑星に渡り、地球とは異なる環境でいかに生き延びるか、これらの生物を研究すればそれに順応するすべを学べる、と語っているのです。『シェイプ・オブ・ウォーター』は、この点でも『大アマゾンの半魚人』を隠しテーマのように取り込んでいると思われます。

 『大アマゾンの半魚人』はモノクロ映画ですが、実写による水中撮影がとても美しく、画面に吸い込まれてしまいます。水中の半魚人と水面の水着の美女の、アーティスティックスイミングのような官能的な泳ぎ、水に射す太陽光線、水底に揺れる波の影、湧き上がる泡の美しさは、ギレルモ・デル・トロ監督に多くのヒントを与えたのではないでしょうか。
 驚いたことにこの映画は、当時の技術での3D映画として製作されたということです。コンピュータでなんでも作り出せる今と違って、リアルでこれらの表現に挑んだ当時の映画人たちのアイデアと努力には、尊敬の念を禁じ得ません。

◆言葉を超えて語るもの

 全体がグリーン系の色調に統一されているこの映画で、イライザは不思議な生き物と肉体的に結ばれたあと、赤い服を身に着け、赤い靴を履きます。彼女の心から愛があふれ出ているしるしです。
 彼を海に逃がす日、別れを前に、私がどれだけあなたを愛しているかあなたにはわからないだろう、と声の出ないはずのイライザがつぶやき、まるで舞台のように彼女にピンスポットが当たって、ミュージカルのようなダンスシーンが突如展開します。
 登場人物の感情を歌とダンスで表現するのがミュージカル。イライザと不思議な生き物は愛の言葉をささやき交わすことはできません。この場面はイライザの彼への感情の高まりを、ミュージカルの形式にのっとって、言葉の代わりに表現したラブシーンです。これは彼女のイマジネーションですが、このシーンも1930年代のミュージカル映画を彷彿とさせる、美しきオマージュとなっています。
 アパートの1階のクラシックな映画館、そこにかかる映画、テレビに映る往年のスター・・・。『シェイプ・オブ・ウォーター』には、過去の映画とそれを支えた人たちへの愛がちりばめられています。

 神と崇められたこの生き物が、最後に起こす奇跡のしるしを、画面にじっと目を凝らして見つけてみてください。

 

ヨコハマメリー

かつて横浜にいた一人の異形の娼婦について、周辺の人々の証言でつづるドキュメンタリー映画です。

 

  製作:2005年
  製作国:日本
  日本公開:2006年
  監督:中村高寛
  出演:永登元次郎五大路子大野慶人森日出夫、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  筆者注:映像に刺激的なものはありませんが、性風俗に関する言葉が出てきます。

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    永登元次郎(ながとがんじろう)氏の飼い猫
  名前:不明
  色柄:アメリカンショートヘアのシルバー

◆ミナトヨコハマ みなとみらい

 JR横浜駅桜木町駅関内駅石川町駅
 横浜を象徴する地区を結ぶこの4つの駅。どこで降りても観光地としての明るく爽やかな横浜を見ることができるでしょう。けれども、1970年代頃までこの近辺は、表通りをはずれるとちょっと怖い雰囲気が残っていました。日本映画でも、ギャングとか、密輸とか、闇の社会を描くものの舞台として横浜や神戸といった港町がよく選ばれたようです。この『ヨコハマメリー』の中に出てくる「根岸家」という酒場は、黒澤明の『天国と地獄』(1963年)で、犯人が薬物の取引をする酒場のモデルになったということです。
 1980年代に入って、横浜に駐留していた米軍関係者の引き揚げが進み、みなとみらい地区の再開発が始まり、横浜の雰囲気は変わりました。そしてその時の歩みと共に、少し怖かった時代の横浜を象徴する一人の娼婦が老いていきました。

◆あらすじ

 映画が始まると、しわだらけの顔を真っ白に塗った濃い化粧の女性の写真がかわるがわる数枚映し出される。その女性についての街頭インタビューの音声。直接見た人、真偽のほどのわからない話をする人。「“ハマのメリー”と呼ばれる老婆が横浜にいた」の字幕が出る。横浜の繁華街・伊勢佐木町によく現れ、その近辺で誰もが知る有名人だったにもかかわらず、米兵相手の娼婦(パンパン)だったらしいといううわさだけで、本当の彼女を知る人は誰もいない。そのメリーさんが1995年に突然姿を消したことから、彼女の過去と現在を掘り起こすドキュメンタリー映画作りは始まる。

 1950~60年代に、メリーさんは横須賀を経て横浜に来る。気位が高く言葉遣いが上品で、舞台衣装のようなドレスを着て、ほかの娼婦たちと親しくすることはなかった。メリーさんがお客を待っていた界隈の、根岸家という酒場の関係者の談話などにより、メリーさんと当時の横浜の風俗が浮き彫りになっていく。
 1921年生まれというメリーさん。年老いていくとともにビルの片隅をねぐらにするような生活から、住む部屋が欲しいと親しい人に弱音を漏らすようになる。メリーさんと親しかったシャンソン歌手の永登元次郎氏が役所に掛け合うが、住所不定のメリーさんは保護が受けられない。そんなメリーさんが故郷に帰れるよう手を貸してくれたのは、メリーさんが服を着替える場所を提供してくれていたクリーニング屋の奥さんだった。1995年12月にメリーさんは横浜を去る。メリーさんがいた横浜の町も変わっていく。

 故郷近くの老人ホームに身を落ち着けたメリーさんから、永登元次郎氏のもとに手紙が届く。元次郎氏はメリーさんに会おうと旅立った・・・。

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◆どうするんだろう、あんたは

 人間が生き、老いていくことについて、一人の娼婦メリーさんを通じて描いたこのドキュメンタリーは、もう一人の登場人物・永登元次郎氏によって同じテーマを複線化しています。元次郎氏は、映画の撮影中から末期のがんを患っていたのです。映画の公開前の2004年3月に元次郎氏はこの世を去ります。
 元次郎氏は経営していたバー「シャノアール」の隣の自宅兼楽屋で、1匹の猫を飼っていました。名前はわかりませんが、映画の中で3回登場し、重い空気を和ませるような、それでいて少ししんみりするような雰囲気をかもし出しています。
2回目の登場のとき、元次郎氏は猫を抱き上げて言います。
「毛が抜けるねえ。カミソリで全部丸坊主にしてやりたいよ」
「うう~ん、どうするんだろう。元次郎死んだら、あんたは」
末期がんを患う元次郎氏の愛猫を思う哀切な問いかけ。ぐっと胸を突かれる思いがします。
 3回目の登場のときは、元次郎氏が入院中のときか、メリーさんに会いに行ったときか、猫は1匹で部屋の中でしっぽをパタパタさせて寝そべっています。カメラがアップになり、ごろりと転がる猫。元次郎氏の不在の部屋。さきほどの元次郎氏の問いかけが現実になった場面を思わせ、何も知らぬげに無邪気に転がる猫のしぐさに心が揺さぶられます。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆私の会ったメリーさん

 ティファニーで朝食を』のときに少し触れましたが、わたしは子どもの頃横浜に住んでいて、実際に何度かメリーさんを見かけたことがあります。その頃の横浜では、彼女のことをメリーさんと呼ぶ人はなかったと思います。私や友人たちは「白いおばさん」とか「白い人」と呼んでいましたが、ここでは彼女をメリーさんと呼ぶことにしましょう。
 映画に出てくるメリーさんの写真は、映画の中でインタビューを受けている写真家・森日出夫氏が1993年頃から1年かけて撮ったもので、『PASS ハマのメリーさん』という写真集におさめられています。メリーさんが72、3歳の頃の姿になりますが、わたしはもっと早く横浜を離れてしまったので、最後にメリーさんを見たのは1970年代後半ごろだったと思います。まだお婆さんではなく、姿勢がよくてマダムという感じでしたが、白いお化粧は写真の通りでした。
 メリーさんは強烈な印象を与える姿ですが、周りとかかわりを持とうとしているように見えませんでした。目のお化粧が濃かったので、こっちを見ているのか見ていないのかよくわかりません。常に気配を殺していて、気が付くと街角にひっそりとたたずんで周囲を眺めていたり、すぐ後ろを歩いていたりするのです。メリーさんがそこにいる、と気が付いたときは、日常にエアポケットが開いたような気持ちになりました。

◆戦争の記憶

 映画のテーマ曲になっている「伊勢佐木町ブルース」は、1968年に青江三奈が歌って爆発的にヒットしました。イントロに続いて、アー、アー、というハスキーな色っぽいため息がテンポよく加わり、終盤のスキャットで昇天? 当時の横浜で一番の繁華街・伊勢佐木町の、昼の買い物客で賑わった表通りに代わり、灯ともし頃とともに裏通りが妖しく輝きだす光景が目に浮かびます。
 度重なる空襲で壊滅した横浜。戦後、本牧や根岸には米軍関係者が住む住宅や施設が広い芝生の中にぽつんぽつんと建っていて、金網一つ隔てたそこはアメリカでした。日本人が住んでいた場所などが占領によって接収されたのです。中で遊ぶとMP(米軍の憲兵)に追い出されました。私の周りの大人たちの間では、横須賀などの基地周辺は階級が下位の兵隊が多く、横浜中心部に住んでいるのは将校クラス以上の軍人が多いという話で、プライドが高く将校をお客に取っていたというメリーさんが、横須賀から横浜に移ったというのは、うなずける話です。
 けれども、横浜に駐留していた米軍関係者の引き揚げと、米兵相手の娼婦だったメリーさんが年老いていく時期が重なります。戦争の記憶が横浜から消えていくとともに、メリーさんも横浜から姿を消したのです。

◆メリーさんをめぐる人々

 この映画の特徴的なところは、特定の個人についてのドキュメンタリーにもかかわらず、当の本人がいなくなったところから始まるところです。私のように実際にメリーさんを知っている者ならば、伊勢佐木町の街角に立っていた白塗りの娼婦と言えば、すぐあの人だとわかりますが、全くメリーさんのことを知らない人は、写真と周辺の人々へのインタビューを通じて彼女のことを想像するしかありません。そして、最後まで本人にインタビューすることはない。つまり、本人の証言によって、人々の噂とか記憶を修正し、実像を描き出すことがないのです。言わば、伝説化したメリーさんを伝説のまま撮り終えているのです。

 インタビューされた人々の中で、最も重要なのは永登元次郎氏です。彼は、1991年に自分のリサイタルのポスターを眺めていたメリーさんに声をかけて招待券をあげ、来てもらったことをきっかけにメリーさんと親しくなります。男娼をしていたという彼の過去が、メリーさんに声をかけるという、当時の横浜にいた者にとっては思い切った行動につながったのです。そして、メリーさんが「あたしはパンパンをやってたからね」と何かの話の中で言ったときに、元次郎氏は、少年時代に自分の母親が父と別れた後でほかの男性と親しくなったことに傷つき、母を「パンパン!」と罵ったことを思い出します。メリーさんの言葉を聞いて、お母さんになんてことを言ってしまったんだろうと悔やみ、メリーさんが自分のお母さんだったらと、メリーさんの生活を金銭面で支えていくことになるのです。

◆メリーさんのいた町

 女優の五大路子は、メリーさんから題材をとった「横浜ローザ」という一人芝居を演じました。横浜の公演で、彼女が舞台から客席に下りて通路を歩いて退場するとき、観客が彼女の腕をさわって、「ローザ」ではなく「メリー!」「メリー!」と声がかかった、それは演じた自分にでなく、街角に立っていたメリーさんに、よく生きたね、と言いたかったのではないかと語ります。
 元次郎氏がメリーさんを招待したリサイタルで、メリーさんがアンコールの前に舞台の元次郎氏に客席からプレゼントを渡すと、大きな拍手が起こるというビデオ映像は印象的です。横浜の人は、メリーさんを戦後の混乱から這い上がった横浜の歴史の象徴的な存在として見ていたのではないでしょうか。写真家の森日出夫氏が語ったように、メリーさんは伊勢佐木町を表す風景そのものでもあったのでしょう。
 けれども、老いて町の人々にそれとなく見守られる一方、メリーさんが次第に追いやられていった事実が彼女にかかわった人たちの証言から浮かび上がります。

◆白塗りの化粧

 舞踏家の大野慶人は、メリーさんのことを「きんきらさん」と呼んでいたと語ります。彼の父親は高名な舞踏家の大野一雄。「わたしのお母さん」という代表作で女装をして踊りますが、つばの広い帽子をかぶり、黒い着物を羽織った姿は、私の中のメリーさんの記憶を呼び覚まします。舞踏では、顔や体を真っ白に塗ります。私の手元にある公演の録画は1998年の91歳のときの舞です。老いたメリーさんが踊っているかのようです。
 作家の山崎洋子氏がインタビューで語ったように、メリーさんのお化粧は仮面だったのではないでしょうか。それは無意識だったのかもしれませんが、顔を真っ白に塗り、どぎつい化粧をし、ドレスをまとい、メリーの姿に変身して、本来の自分と切り離すことによって、パンパン稼業ですり減っていく素の自分自身を守ることができたのではないかと思います。

 結末は映画をぜひご覧になってください。メリーさんと元次郎氏が心温まる時間を持てた、ということだけをお伝えしておきます。

 メリーさんは、元次郎氏に遅れて2005年1月に83歳で他界します。手違いで、中村監督がそれを知ったのはメリーさんが亡くなってから1年ほどたった頃。この映画の2006年4月の公開の準備をしている最中に、知らせが届いたそうです。

 『ヨコハマメリー』は自主上映会の開催を受け付けています。詳しくはオフィシャルサイトをご参照ください。

 

参考:『ヨコハマメリー 白塗りの老娼はどこへ行ったのか』
    中村高寛河出文庫/2020年