この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

このブログについて (はじめに)

 「猫が出てくる映画」を毎回1本、観客目線で紹介・批評するブログです。と言うと、猫の可愛さ・神秘性を堪能できる猫たっぷりの映画を期待されるかもしれません。このブログには、堂々主役を張る猫から、「あそこに出てる!」というくらい瞬間猫ショットの映画も多々・・・。というのは、「映画に出てくる猫について語る」のではなく「猫が出てくるという条件でピックアップした映画について語る」ブログだからです。
 映画について文章を書いて人に読んでいただきたい、と思いつつ、巨匠の名画のことをいまさらちょっと書いてみたところで誰も見向きもしないだろう、新作映画はSNS上で瞬時にレビューが飛び交う時代、無名の人間の批評なんて読む人いないよね、とモヤモヤする中、猫が出るとも知らずに見た映画に思いがけず登場する猫の姿に、猫好きとして喜びを感じていました。ストーリー上の必然もないのに、なぜ監督はわざわざこのシーンに猫を使ったのか・・・。私のように猫が隠れている映画を見つけたいと思っている人がいるのでは・・・。それがこのブログを書くことにしたきっかけです。
 「猫が出てくる」を条件に選ぶと、自分が普段あまり見ないジャンルの映画や、評論で取り上げられないような映画もまじってきます。選り好みせずに筆を執って、幅広い方に読んでいただけたらと思います。ただし、アニメは人間の都合で猫を自由に造形できてしまうという理由で、対象外とさせていただきます。
 あなたが猫好きでも、そうでなくても、ここで紹介した映画があなたにとって忘れられない一本になりますように。

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◆師匠からのメッセージ

 このブログの公開にあたり、映画について書くことの面白さに導いてくださった、映画評論界の重鎮・白井佳夫師匠から応援メッセージをいただきました。師匠は、東京・池袋の西武百貨店別館のカルチュアセンター「池袋コミュニティ・カレッジ」で、月2回、映画を見てディスカッションとレポート発表を行う「白井佳夫の東京映画村」を開講しております。見学もできますので、関心のある方はどうぞお越しください(TEL:03-5949-5488)。


 猫美人さんは、わたしが講師を務めた、東京芸大での特別講義や、池袋の東武カルチュアセンター(閉校)や、池袋コミュニティ・カレッジに引き継がれた『白井佳夫の東京映画村』の生徒の中で、特に切れ味のいい映画の文章の書き手で、その面白さは保証いたします。彼女のユニークな個性をじゅうぶん楽しんでください!」
                          映画評論家

                          f:id:nekobijin:20210330154037j:plain                     

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◆参考書籍
 『スクリーンを横切った猫たち』 千葉豹一郎著 2002年 ワイズ出版
 『ねこシネマ。』 ねこシネマ研究会編著 2016年 双葉社

イラスト担当:東洲斎茜丸

 

次回予告 7月2日(土)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

ライフ・イズ・ビューティフル
 (1997年/イタリア/監督:ロベルト・ベニーニ

父親の優しい嘘がナチスの収容所で家族を守る。どんなときにも人生はすばらしい――

     

(この予告編は本編公開時に削除します)

 

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HANA-BI

妻の病、子どもの死、部下や同僚の殉職と負傷・・・。刑事の西は次第にバランスを失っていく。


  製作:1997年
  製作国:日本
  日本公開:1998年
  監督:北野武
  出演:ビートたけし、岸本加世子、大杉連、寺島進、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    お寺にたむろする猫たち
  名前:なし
  色柄:キジ、茶白、キジ白、白黒など、のべ8匹


◆メリークリスマス

 映画監督・北野武は知っていても、漫才師・ツービート時代のビートたけしを見たことがない若い人もいらっしゃるかもしれません。両方をまとめて「たけし」という呼び方をさせていただければ、私にとって「たけしと映画」の最初の記憶は、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983年)。「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」と呼びかけるたけしの演じたハラ軍曹、笑顔なのですが、目が笑っていません。自分の自然な心を隠し、相手に微笑んでみせる――「欧米人から見た日本人の謎の微笑みとはこれなのか」と思わせる顔でした。
 『HANA-BI』は北野武監督としての7作目。1997年ヴェネツィア国際映画祭での金獅子賞ほか、多数の賞を受賞しています。

◆あらすじ

 拳銃を持った凶悪犯を張込み中の刑事の西(北野武)には、回復の見込みのない病の妻(岸本加世子)がいた。張込み現場近くに妻の病院があり、同僚の堀部(大杉連)や部下が西に面会に行くよう勧め、西が現場を離れている間に堀部が銃で撃たれてしまう。一報で駆け付けた西の目の前で、さらに部下の田中(芦川誠)が犯人に銃で撃たれ殉職する。西は犯人に発砲し、犯人が死んでしまったのに弾がなくなるまで撃ち続ける。
 堀部は車椅子生活となって妻と子が去ってしまい、自殺を図るが未遂に終わる。西の妻は病院でも手の施しようがないため自宅に戻ってきた。
 西は刑事をやめ、殉職した田中の妻に仕送りをしたり、堀部が気力を取り戻すよう絵の道具を送ったりしていたが、その金はヤクザから借金したものだった。返済が滞って脅された西は、警察官を装って銀行強盗を働く。ヤクザに金を返し、妻を連れて車で二人きりの旅に出るがヤクザは西をつけ回し・・・。

◆お寺の猫

 都会の街中では猫と出会うことが少なくなったと以前書きましたが、比較的よく出会える場所は神社やお寺です。東京には縁結びで有名な大きな二体の招き猫がある今戸神社や、彦根藩主・井伊直孝を雨宿りに招いたという招き猫伝説の豪徳寺など有名な猫スポットもありますが、特に名もない神社やお寺でも、ふと立ち寄るとその境内をわがもの顔に歩く猫や、階(きざはし)で丸くなって寝ている猫に出会ったりします。どういうわけかこういう場で猫は隅っこにいることは少なく、賽銭箱の前などのど真ん中で寝ていることがあって、猫が拝まれているように見えるところがほほえましいです。
 『HANA-BI』の猫は、猫のいるお寺として有名になった鎌倉のさるお寺の猫たちです。映画の中では、西が妻と旅の途中で立ち寄った架空の町の寺という設定になっていて、その山門の周辺で自由に過ごしている猫たちの姿がカメラに捉えられています。昔々、私が若かりし頃にそこに行ったときにはまだ猫の姿は見られませんでしたが、この映画の公開より後に猫のいる寺と評判になったことを知らずに訪れたときには、私を喜ばせるだけの姿がありました。
 猫名所は人が集まりすぎて弊害が出ているところもあると聞きます。訪れる人はエサをやって周辺を汚したり、写真を撮るために植え込みや建造物に立ち入ったりせず、いつまでも猫が平和にのんびりできる場所として見守ってあげてほしいと思います。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆キレた刑事

 この映画、どこかでこんな映画やドラマを見たことがある、と思わせるものです。仕事に追われ最愛の人々のために何もしてやることができないというのは刑事ものの定番。野村芳太郎監督の『張込み』(1958年)では若い刑事(大木実)が恋人と別れる寸前まで行ってしまう。ピエトロ・ジェルミの『刑事』(1959年)の主人公は、電話だけで登場する恋人とのデートを捜査のため再三すっぽかさざるを得ない刑事。内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1964年)の元刑事の弓坂(伴淳三郎)は、刑事をやめさせられたあと妻子に何一つしてやれないギリギリの貧しい生活。そんな境遇にあっても悪を憎むヒューマニティと使命感と誇りが彼らを支えている、と描かれるのもまた常道。けれども、『HANA-BI』の西は、それを突き抜け、キレてしまった男です。その暴力描写が北野監督の個性です。
 原因は描かれていないものの、子どもが死んだあとほとんど口をきけなくなってしまった妻の治る見込みのない病、そんな妻をなかなか見舞いにも行けないこと、仲の良い同僚の堀部が撃たれて下半身不随になり妻子が去っていったこと、部下の田中が殉職し若い妻と子が残されたこと・・・立て続けの不幸のあと、西には刑事など割に合わないという絶望感が生まれたのでしょう。銀行強盗をして金を奪うだけだったら、モデルガンがあればできるはずです。それをわざわざ偽装パトカーを作り警官の格好をして犯行に及んだりすることで、刑事警察という生業(なりわい)を否定し、憎み、踏みつけにするパフォーマンスを西は演じてみせます。

◆毒ガスだ!

 この映画に時々挿入されるギャグには「不意打ち」が見えます。
 張込みの準備に入ろうとした西の足元に、近所の板前の二人組が休憩中なのか、キャッチボール中にそらしたボールが転がってきます。それを拾い上げた西はピッチャー張りの投球フォーム。板前の一人が「よし」とキャッチャーのように座って構えていると、西はわざととんでもない方向にボールを投げてしまいます。相手の板前たち以上に観客の力がどっと抜けてしまいます。
 また、ラスト近く、浜辺で子どもの凧揚げを手伝った西が、糸巻を持った子どもが走り出して、凧から手を離すべきタイミングでわざと凧を持ち続け、こわしてしまいます。こうした観客の期待と読みを瞬時に裏切る不意打ちのギャグ、同じ北野監督の『ソナチネ』(1993年)では、文字通り「落とし穴」が出てきます(『HANA-BI』でも妻が雪にはまってしまうという場面がありました)。観客サービスのために笑いを提供しているのではなく、まさに観客が落とし穴に引っかかるのを見て自分が笑っているかのような、毒を含んだ意地悪な笑いです。
 『HANA-BI』では北野監督自身が描いた印象的な絵がふんだんに登場します。明るい色彩なのですが、動物の頭部が花になっていたり、雪の降り積もった中に血のような赤で「自決」という文字が書き込まれていたり、穏やかでない要素がたびたび露出します。北野監督の持つ毒素がここにも顔を出しています。彼の映画に特徴的な暴力は彼の攻撃性のストレートな表現、毒を含んだギャグや映像は攻撃性の一種の変形であると思います。

◆映像の言葉

 ほとんどセリフらしいセリフをしゃべらない主人公の西。出づっぱりに近いのに、うん、とか、いいよ、とか、日常会話の二言三言程度です。一番複雑なセリフは「今度会ったら殺すって言ったろ」。
 『HANA-BI』では西がいま目の前にいる相手に関連する記憶が映像でフラッシュバックされ、現在起きていることなのかと初めのうち混乱したりしますが、何度か繰り返されるうちに慣れてきます。誰かのモノローグや画面外からのナレーション、わざとらしいセリフで説明したくない、映像からくみ取ってほしいという思いが感じられます。それが極端に少ないセリフの理由でしょう。前回の『ロング・グッドバイ』(1974年/監督:ロバート・アルトマン)のときに触れた『三つ数えろ』(1946年/監督:ハワード・ホークス)のような、セリフが主体の映画と見比べてみると映画としての違いは歴然としています。
 いま若い世代では配信などで映画を見るとき気になるシーンだけ普通の速度で見て、次の気になるシーンまで早送りで飛ばすとか、最初から最後まで倍速視聴という見方をする人が多いようですが、『三つ数えろ』のようなセリフを逐一押さえなければストーリーがわからない映画では、おそらくそういう見方はできないと思います。一方、『HANA-BI』は、こういう言い方も変ですが、倍速視聴に向いた映画ではないでしょうか。

◆音の言葉

 倍速視聴の最大の被害者(?)は音楽でしょう。物語世界を間接的に支える音楽は、時には映画そのものよりも強い印象を残すことがありますが、早送りでは音楽や効果音はあってもなくても関係なくなってしまいます。
 『HANA-BI』の音楽はジブリのアニメの音楽などでもファンの多い久石譲。彼ならではの美しいメロディー、特にラストシーンを風景と共に抒情的に盛り上げていますが、この音楽は北野武監督の本質的に持つ毒を無毒化してしまっているように思います。西は、妻や同僚や部下やその家族にまで優しい思いやりを示す反面、切れると恐ろしい暴力性を示す男。その一人の男の中に存在する落差がラストの西の選んだ結論につながっていると思うのですが、音楽によって少しきれいな方向に傾きすぎたのではないでしょうか。もう少し後味がザラザラしていてもいいように思います。
 西の妻は西以上にセリフが少なく、笑い声以外一言も言葉を発しないのですが、最後の最後に「ありがとう」「ごめんね」というセリフを発します。最愛の人に最後のとき言葉を残すとしたら、この二つしかないかもしれない、と思いながら見ていたら不覚にも泣けてきました。やはりあの音楽が泣かせにいっているのでは、それはちょっと違うぞ、と思いながら・・・。


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ロング・グッドバイ

探偵フィリップ・マーロウが主人公の少しアンニュイなハードボイルド。伝説の猫との名場面は必見!

 

  製作:1973年
  製作国:アメリ
  日本公開:1974年
  監督:ロバート・アルトマン
  出演:エリオット・グールド、ニーナ・ヴァン・パラント、スターリング・ヘイドン 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公の飼い猫
  名前:?
  色柄:茶トラ

 

◆伝説の映画

 中学生だった頃、その年頃の女子向けのファッション雑誌の映画紹介記事で読んだのが、この映画の主人公と猫とのやりとりのくだり。こんな映画があるんだ、といつか見たいと思ったのに映画の題を忘れてしまい、長年モヤモヤを抱えたままでした。
 ようやく猫が出てくる映画と言えば・・・という話題でこの映画がその出所とわかってうれしかったこと。公開から50年近くたとうというのに、いまだに猫好きの映画ファンを狂喜させるこのシーン。ぜひ味わってください。

◆あらすじ

 私立探偵のフィリップ・マーロウエリオット・グールド)は、友人のテリー(ジム・バウトン)から突然の訪問を受ける。メキシコのティファナに行きたいという彼をマーロウが自分の車で送って帰ると、警察がマーロウを訪ねてくる。テリーは妻を殺してお尋ね者だという。マーロウはテリーをかばって警官にたてつき留置場に入れられるが、テリーがメキシコで自殺し釈放される。
 戻ったマーロウはアイリーン・ウェイドという女性(ニーナ・ヴァン・パラント)から行方不明の夫を捜してほしいと依頼を受け、マリブにある彼女の豪邸を訪ねる。調べると、酒浸りの夫・ロジャー(スターリング・ヘイドン)は治療のため精神病院に入れられていた。夫を自宅に連れ戻したものの夫婦の間はしっくりしない。
 そんなある日マーロウのもとにテリーから5000ドル札が届く。不審に思ったマーロウが、テリーが自殺したメキシコに調査に行って戻ると間もなくロジャーが自殺する。この夫妻とテリー夫妻の間に何かあると考えたマーロウは、以前テリーが持っていた大金をマーロウが隠していると言って子分と脅しに来たマーティー(マーク・ライデル)というやくざのオフィスを訪ねる。マーロウはマリブのウェイド夫妻の家でマーティーたちが妻のアイリーンと話しているのを前に見ていて、何か手掛かりがあると思ったのだ。その大金がマーロウの目の前でマーティーのもとに届き、マーロウが隠しているという疑いは晴れる。やくざのオフィスを出たとき、マーロウはアイリーンの姿を見かけて追いかける・・・。

◆ねこあるあるある♪

 さて、あまりにも有名な猫場面なので、耳にタコ、目にフタができている方もいらっしゃるかもしれませんが、猫を飼っている人なら「わかる!」と膝を打つこのエピソード。
 映画の冒頭、主人公の探偵フィリップ・マーロウは午前三時にベッドに飛び乗った猫に起こされます。マーロウはシャツにズボンに靴を履いたまま、電気もつけっぱなしでよほど疲れて倒れ込むようにして寝た様子です。そんな状態にもかかわらずおなかをすかせた猫に応えて起きるマーロウ。疲れて帰って猫にエサをやらずに寝てしまったことをかすかに思い出したのでしょう。
 ところがいつもの猫缶を切らしていて、マーロウはあり合わせの特製ごはんを作ってあげるのですが(仕上げに塩をかけている!)猫は匂いを嗅いだだけで口をつけません。皿をひっくり返され、マーロウは車を走らせてスーパーに猫缶を買いに行きます。ところが愛猫の好きなカレー印の猫缶が売り切れ。しかたなく別の猫缶を買って帰り、猫に見られないようドアを閉めてカレー印の空き缶に別の猫缶の中身を移し替え、猫をキッチンに入れて目の前で「お前の好きなカレー印だ」と皿にあけてみせるのですが、猫は騙されません。猫専用の出入口からプイッと出て行ってしまいます。

 猫を飼ったことのある人なら、猫が自分のお気に入りのエサしか口にしようとしないことにマーロウのように泣かされたことがあるはず。しかも、複数の猫を飼っている場合、Aの猫とBの猫の好みが違って、Aの好きなエサをBは食べない、という目に遭っていると思います。猫缶の場合、食べきれずに冷蔵庫に取っておいた残りは食べてくれず、新しく開けるのをじっと待っているとか。
 そんな猫の飼い主の嘆きと猫愛をつぶさに描写したこの場面、伝説化するのは当然のことでしょう。映画の開始から10分以上、延々と続きます。カレー印が売り切れで、スーパーの店員が「ほかのやつでも大して変わらない」と言ったときに、マーロウがつぶやく「猫を飼ったことがないな」というセリフへの共感の叫びが聞こえてくるようです。
 猫(名優!)の出番はここだけ。茶トラの猫は家出したまま帰ってきません。その恨み言を映画の中でたびたびマーロウがつぶやくのも楽しいところです。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

探偵物語

 この映画は「猫の場面だけでいい人はここまで」と、あとは全然面白くないと言う人もいるかもしれません。私はそこまでは言いませんが、なかなか筋金入りのストーリーの複雑さ。「あらすじ」を読んでもちっともわからなかったのでは?
 レイモンド・チャンドラーの、フィリップ・マーロウを主人公とする探偵小説が原作。いまも男性ファンに支持されるというフィリップ・マーロウもの。「男はタフでなければ生きていけない・・・」などのキザな名セリフが男性の共感を呼ぶのでしょうか。1939年の『大いなる眠り』がフィリップ・マーロウものの第一作で、この『ロング・グッドバイ(長いお別れ)』は1953年の作。
 1930年代から1950年代くらいまでの、舞台劇や小説を原作とした映画は、セリフが多いのです。言葉や文章で人に伝えるというベースのものを視覚がベースの映画に乗せ替えただけのようなものが多く、セリフに追われ、進みの速い先生の授業について行くようにヘトヘトになることもしばしば。こういう映画を見ると無声映画の方がより映画的だと気づかされます。
 チャンドラーの『大いなる眠り』を原作としたフィリップ・マーロウもの映画『三つ数えろ』(1946年/監督:ハワード・ホークス)は、こうしたセリフの多い時代のサスペンスの典型。ハンフリー・ボガートローレン・バコールが素敵でしたが、筋が込み入っていて軽い気持ちで見始めると後悔します。
 小説から20年後に製作された『ロング・グッドバイ』は、年代物の推理小説の回りくどさに忍耐を要しつつも、70年代風のポップな味を助けに完走できる、という風です。ちなみに原作には猫は出てこないとのこと。

◆皮肉屋

 レイモンド・チャンドラーが作ったキザなフィリップ・マーロウ像を壊し、自然体に生きてる風の男に仕立てたところがこの映画のミソでしょう。正義の番人のようなハンフリー・ボガートのマーロウに比べ、しがない私立探偵とばかりに自分の稼業にちょっと引け目を感じているようなエリオット・グールドのマーロウ。あちこちでマッチを擦ってはタバコを吸いまくり、気取ったセリフを人に聞かせる代わりに皮肉ともぼやきともつかない独り言をつぶやいて、女性といい仲になるわけでもなく猫に振り回される脱ヒーローです。ベトナム戦争終盤頃から、体制に抵抗する若者像を描き、ハリウッド式商業的大作と一線を画したいわゆる「アメリカン・ニュー・シネマ」と言われる映画の流れに属する主人公でしょう。
 そのどこか孤独で虚無的なムードをかきたてるのが、ジョン・ウィリアムズによるけだるいテーマ曲。全編で色々なアレンジで流れ、ジャズバージョンはとても粋。マーロウがメキシコで目にした葬列の葬送行進曲にまで使われるという凝りようですが、エンドロールで流れる曲は明るく能天気な「ハリウッド万歳」。これはロバート・アルトマン監督のハリウッド的なるものへの批判の姿勢を示したものでしょうか。それとも、アメリカン・ニュー・シネマの潮流がこの頃『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年/監督:ロナルド・ニーム)のようなハリウッド的大作主義に回帰してきたことを皮肉ったものでしょうか。

夢のカリフォルニア

 そのハリウッドでロウソクを売って生活しているという、マーロウのマンションの向かいの部屋のダンサーのようなヨギーニ(ヨガをする女性)のような女性たちの、何とも奇妙な生態が度肝を抜きます。自然と一体化するためかいつも半裸の姿でベランダで踊ったり瞑想したり、マーロウの部屋に訪ねてきた男たちは一様にびっくりして「よくこんな部屋に住んでいられるな」と言ったりします。
 ウェイド夫妻の住んでいるマリブビーチのマリブコロニーという一画は、ハリウッドスターなどのセレブたちの住まいや別荘が集まっていた場所だそうですが、その出入口でスターの物まねをするガードマンがお茶目です。まず、バーバラ・スタンウィックの真似。次にマーロウが通りかかったときにジェームズ・スチュアートの真似をすると、説明する前にマーロウがわかってくれたのでご機嫌に。次にウォルター・ブレナンの真似をするのですが、やくざの若いのには全く通じずがっかりしてしまいます(ガードマンを演じたのはケン・サンソム)。
 60年代から70年代に流行したヒッピーイズムや、風光明媚なセレブのビーチ。当時の西海岸の空気がこんな場面から伝わってきます。
 文字通りのハードボイルドを、こんな味付けに料理したロバート・アルトマン監督。エリオット・グールドも出た、軍隊をおちょくった『M★A★S★H』(1970年)もひねったユーモアで支持する人が多いですね。

◆猫がいなけりゃ生きていけない

 さて、この映画のマーロウの最後のセリフは「猫がいなくなっちまったじゃないか!」(猫美人訳)。その場に全く関係ないセリフですし日本語にすると長いからか、先日見たCS放送版の字幕は全く違う言葉に置き換えられていました。猫が家出してすぐマーロウが猫を捜していると、このセリフの相手がやって来てマーロウの猫捜しは中断します。「あの時あいつが来なければ猫を捜しに行けたのに」・・・マーロウはずっとそう思っていたのかもしれません。もしかしたら「ロング・グッドバイ」の「グッドバイ」の相手はあの猫?
 猫に始まり、猫に終わる映画。
 アーノルド・シュワルツェネッガーがセリフのないやくざの子分役で出演しています。

 

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007は二度死ぬ

日本を舞台にした007シリーズ第5作。奇妙な日本に目を白黒!

 

  製作:1966年
  製作国:イギリス
  日本公開:1967年
  監督:ルイス・ギルバート
  出演:ショーン・コネリードナルド・プレザンス、若林映子、浜美枝丹波哲郎 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    スペクターの首領ブロフェルドの愛猫
  名前:不明
  色柄:ペルシャチンチラシルバー


◆そろそろ還暦

 映画の007シリーズ第一作『007は殺しの番号』(監督:テレンス・ヤング)が製作されたのは1962年。現在はこの物騒な題名は『007/ドクター・ノオ』と、原題の「Dr.No」に即して表記されるのが一般的ですね。映画「007」誕生から今年で60年。人間なら還暦を迎えることになるというおなじみの長寿シリーズ。
 皆様はこの「007」をなんと読みますか? 「ぜろぜろなな」「ぜろぜろせぶん」「だぶるおーせぶん」? 「ダブルオーセブン」というのが英語圏での呼び方ですが、60年代からこのシリーズになじんできたシニア層には「ぜろぜろなな」と言う人が多いのではないでしょうか。第一作の『007は殺しの番号』は「ぜろぜろななはころしのばんごう」と読むことで、七七調のすわりのよい日本語になります。60年代中頃、TVで『0011ナポレオン・ソロ』というアメリカの輸入ドラマをやっていたのですが、あれは「ぜろぜろいちいち」と読んでいました。周囲の人に「007」と示して、何と読む? と聞いてみると世代によって違う答えが返ってくるかもしれませんよ。

◆あらすじ

 航行中のアメリカの有人人工衛星が正体不明の宇宙船に取り込まれてしまう。船外活動中だった宇宙飛行士は命綱を切られて宇宙のどこかに消えてしまった。アメリカはソ連の仕業だと主張し、ソ連は反論。イギリスの情報機関はその宇宙船が日本に降りたようだと、秘密諜報部員007ことジェームス・ボンドショーン・コネリー)を日本に派遣して真相を探る。
 ボンドは日本の諜報部のアキという女性(若林映子)と秘密警察のボス・タイガー田中(丹波哲郎)と協力し、ヘンダーソンチャールズ・グレイ)という男を訪ねて謎の宇宙船の情報を得ようとするが、ヘンダーソンは彼の目の前で殺されてしまう。ボンドはある日本企業がヘンダーソン殺害と宇宙船の件に関わっていると見て社長とビジネスを装って面会するが、見破られて命を狙われる。
 その頃、ソ連の有人宇宙船もアメリカのときと同じ宇宙船に取り込まれてしまう。謎の宇宙船は神戸と上海の間に位置する島の基地に着陸する。ボンドはタイガーからそこに潜入するために忍者の訓練を受けさせられ、怪しまれないよう島の漁村でタイガーの部下の海女・キッシー(浜美枝)と偽装結婚し、日本人漁師を装う。
 ボンドはキッシーから友人が島の洞穴に入った後に不審な死を遂げたと聞き、二人でそこを調べていると火山の頂上に近づいたときヘリコプターが火口に入っていくのを見る。そこは米ソの対立をあおってそのすきに世界征服を狙う謎の組織・スペクターの基地で、首領ブロフェルド(ドナルド・プレザンス)が動かしていた。ボンドがそこに潜入したことにブロフェルドが気づくとまもなく、キッシーの知らせでタイガーや忍者部隊がボンドの応援に駆け付ける・・・。

◆必死すぎる!

 ボンドの対決する謎の組織・スペクターの首領ブロフェルドが初めてシリーズに登場したのが第二作の『007/危機一髪(ロシアより愛をこめて)』(1963年/監督:テレンス・ヤング)。ただし、そのときのブロフェルドは猫を膝に抱いてなでる手や後ろ姿が映るだけで、彼が初めて顔を見せ猫と共に登場したのが今回の『007は二度死ぬ』。けれども原作にない登場人物を勝手に作ったなどの問題で、スペクター、ブロフェルドはシリーズの途中で出て来なくなってしまいました(2015年の『007 スペクター』(監督:サム・メンデス)で久々の復活)。ちなみに、『007は二度死ぬ』で殺されるヘンダーソンを演じたチャールズ・グレイは『007/ダイヤモンドは永遠に』(1971年/監督:ガイ・ハミルトン)でブロフェルドを演じています。
 『007は二度死ぬ』では、ちょうど映画の真ん中あたり、秘密基地の中枢部で誰かに抱かれている猫が映り、猫によってこれはブロフェルドだな、とわかる運びになっています。この猫、タイガー田中と忍者部隊が基地に突入し騒然としてくると、ブロフェルドの腕から逃げようとして必死の形相で大暴れ。ブロフェルドが脱出しようとする直前に腕から飛び降りていなくなってしまいます。よっぽど怖かったのか耳がぺっちゃんこ。数多く映画の中に登場する猫をチェックしてきましたが、ここまで素になってしまった猫はほかにいたかどうか。猫が逃げないようドナルド・プレザンスが必死に抱きかかえているのにも苦笑してしまいます。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆モフモフな人

 1960年代、テレビの洋画劇場で「007」映画を見て、何を一番記憶しているかというと、ショーン・コネリーの胸毛です。胸板全面を覆うフサフサ黒々とした胸毛に目をパチクリ。『007は二度死ぬ』では、丹波哲郎演じるタイガー田中が自宅にボンドを招き、一緒に入浴したときにボンドに「日本女性はその見事な胸毛に惹かれる。日本人には胸毛がない」と説明します(いえ、そうひとくくりにされても・・・)。ここでボンドが日本のことわざを披露、「鳥は裸の木に巣をつくらない」。ご存知ですか、日本の皆さん?
 タイガーの自宅のお風呂というのは(どう言ったらよいのか)まるでホテルで、なんとブラジャーとショーツだけの女性が4人登場して二人の身体を流します。ここはそういう特殊な浴場と一般家庭のお風呂を勘違いしているのか、わかっていて特別な客に特別なおもてなしがされていると描こうとしているのか、判断に苦しむところ。お風呂のあとは気に入った女性を選んでマッサージ。そこへアキが夜のお相手を務めにやって来ます!?
 この『007は二度死ぬ』では、こればかりではなくエキゾチシズムに基づくちょっと奇妙な日本の姿が随所に見られます。ボンドの偽装妻を演じた浜美枝の、2022年1月の朝日新聞の連載インタビュー記事『語る 人生の贈り物』によると、変な日本の描写について、丹波哲郎と一緒に監督に指摘したこともあったとか。

◆ボンド漫遊記

 潜水服のボンドがゴジラのように海から陸に上がって、日本で最初に訪れるのが(銀座・赤坂などを経て)国技館本場所中で、当時大鵬柏戸とともに横綱を張っていた佐田の山(懐かしい!)が、支度部屋を訪ねたボンドにチケットを渡し(背後で大鵬柏戸カメオ出演!)、その升席でアキと「アイ ラブ ユー」を合言葉に落ち合うのですが、スパイの待ち合わせにしてはあまりに奇妙奇天烈、目立ちすぎ。
 ボンドを日本人に見せるために結婚式まで挙げて偽装結婚させるというのも無理やりですが、お寺の鐘が撞かれたと思ったら神前で四組の集団結婚式。浜美枝以外の花嫁はみんな中年以上の女性というのはどういうこと?
 極め付きはやはり忍者の訓練。ボンドが数日稽古して忍者の技をマスターできるとは思えませんが、その訓練は空手あり、剣道あり、手裏剣あり。忍者軍団はもちろん背中に刀を担いで秘密基地に突入。刀で敗れた新選組を思い出してあ~あと思ったり、第二次大戦で刀を振りかざす前近代的日本兵の姿が米英軍には脅威だったのだろうなあ、と『戦場のメリークリスマス』(1983年/監督:大島渚)を思い出したり。

 そういう「おかしな日本」、日本ロケ、日本人女優がボンドガールに選ばれたのとで、『007は二度死ぬ』は日本で大ヒット。朝日新聞が2021年10月に読者に行った「007シリーズ」人気作品アンケートでは、1位は『ロシアより愛をこめて(007/危機一髪)』。2位は『007/ゴールドフィンガー』(1964年/監督:ガイ・ハミルトン)、3位が『007は二度死ぬ』。いまは紙の新聞の読者はほとんどシニア層と聞きますので、上位の作品がすべてショーン・コネリーの初代ボンドのものというのはそのあたりを反映しているのかもしれません。
 『燃えよドラゴン』(1973年/監督:ロバート・クローズ)は、この忍者の訓練シーンや、パーティーのアトラクションでの相撲、首領が白い長毛の猫を可愛がっているという設定など、多くをこの映画から拝借したのだと思います。

◆ボンド俳優は永遠に

 朝日新聞のさきほどの浜美枝のインタビュー記事によると、彼女は「007シリーズ」とは知らずにオーディションを受け、合格後、ロンドンのホテルで英語の訓練に入ったそうですが、「ボンドガールであるあなたはホテルでは常にスーツなどを着て、ハイヒールを履き、メイクは完璧に」と言われ、年配の厳しい元舞台女優の先生の指導で、窮屈なあまりストライキを起こしたとか。ショーン・コネリーはとても優しく声をかけてくれたそうですが、英語のセリフのマスターでいっぱいいっぱいであまり話ができなかったそうです。

 肌もあらわなアクションシーンで目立った浜美枝に比べ、もう一人の日本人ボンドガール・アキを演じた若林映子(あきこ)の方はあまり注目されません。けれども映画を見ると、アキの方が芯が強く賢く控えめという伝統的な日本女性の美徳を示し、出番も多め。ボンドが偽装結婚を指示されたとき、てっきりアキとだと思って二人とも喜んだのに島の海女と結婚するのだと引き裂かれ、ボンドの結婚式の前、二人で眠っていたときにボンドを狙った殺し屋の毒が彼女の唇に垂れ、アキは亡くなってしまいます。日本映画の監督だったらこのシーン、もっと情緒たっぷりに描いたでしょう。いまわの際に「ボンド、これは合言葉じゃないわ。アイ ラブ ユー・・・」なんて。

 丹波哲郎は、この映画や『五人の軍隊』(1969年/監督:ドン・テイラー)など、外国映画で外国人がイメージする日本人を演じたり、日本映画で日本人とかかわる外国人の役を演じたり(『アラスカ物語』(1977年/監督:堀川弘通)の酋長)、かと思えば時代劇の出演も多く、幅広い役柄を演じる柔軟性の持ち主。この映画でも地下鉄丸ノ内線の車両を自分の秘密オフィスにしているという妙な設定を何食わぬ顔でこなしています。心霊の研究でも有名でしたね。

 さて、「二度死ぬ」というタイトルの意味は映画を見てのお楽しみ。丹波哲郎の「大霊界」には関係ありませんよ。

 

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