この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

このブログについて (はじめに)

 「猫が出てくる映画」を毎回1本、観客目線で紹介・批評するブログです。と言うと、猫の可愛さ・神秘性を堪能できる猫たっぷりの映画を期待されるかもしれません。このブログには、堂々主役を張る猫から、「あそこに出てる!」というくらい瞬間猫ショットの映画も多々・・・。というのは、「映画に出てくる猫について語る」のではなく「猫が出てくるという条件でピックアップした映画について語る」ブログだからです。
 映画について文章を書いて人に読んでいただきたい、と思いつつ、巨匠の名画のことをいまさらちょっと書いてみたところで誰も見向きもしないだろう、新作映画はSNS上で瞬時にレビューが飛び交う時代、無名の人間の批評なんて読む人いないよね、とモヤモヤする中、猫が出るとも知らずに見た映画に思いがけず登場する猫の姿に、猫好きとして喜びを感じていました。ストーリー上の必然もないのに、なぜ監督はわざわざこのシーンに猫を使ったのか・・・。私のように猫が隠れている映画を見つけたいと思っている人がいるのでは・・・。それがこのブログを書くことにしたきっかけです。
 「猫が出てくる」を条件に選ぶと、自分が普段あまり見ないジャンルの映画や、評論で取り上げられないような映画もまじってきます。選り好みせずに筆を執って、幅広い方に読んでいただけたらと思います。ただし、アニメは人間の都合で猫を自由に造形できてしまうという理由で、対象外とさせていただきます。
 あなたが猫好きでも、そうでなくても、ここで紹介した映画があなたにとって忘れられない一本になりますように。

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◆師匠からのメッセージ

 このブログの公開にあたり、映画について書くことの面白さに導いてくださった、映画評論界の重鎮・白井佳夫師匠から応援メッセージをいただきました。師匠は、東京・池袋の西武百貨店別館のカルチュアセンター「池袋コミュニティ・カレッジ」で、月2回、映画を見てディスカッションとレポート発表を行う「白井佳夫の東京映画村」を開講しております。見学もできますので、関心のある方はどうぞお越しください(TEL:03-5949-5488)。


 猫美人さんは、わたしが講師を務めた、東京芸大での特別講義や、池袋の東武カルチュアセンター(閉校)や、池袋コミュニティ・カレッジに引き継がれた『白井佳夫の東京映画村』の生徒の中で、特に切れ味のいい映画の文章の書き手で、その面白さは保証いたします。彼女のユニークな個性をじゅうぶん楽しんでください!」
                          映画評論家

                          f:id:nekobijin:20210330154037j:plain                     

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◆参考書籍
 『スクリーンを横切った猫たち』 千葉豹一郎著 2002年 ワイズ出版
 『ねこシネマ。』 ねこシネマ研究会編著 2016年 双葉社

イラスト担当:東洲斎茜丸

 

拳銃貸します

アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクのコンビによる第二次大戦中の犯罪映画。日本が悪役の隠れた戦意高揚もの。

 

  製作:1942年
  製作国:アメリ
  日本公開:2013年
  監督:フランク・タトル
  出演:アラン・ラッド、ヴェロニカ・レイクロバート・プレストン、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公の住まいの通いの子猫、小屋に入って来た猫
  名前:?
  色柄:子猫=黒白、小屋猫=茶トラ(モノクロのため推定)


◆カムバーック!

 この映画の主役を演じたアラン・ラッドといえば『シェーン』(1953年/監督:ジョージ・スティーヴンス)があまりにも有名。悪漢を撃って、言葉少なに馬に乗って去っていくアラン・ラッドのシェーンの背中に、少年が「シェーン、カムバーック!」と叫ぶ・・・。男の中の男、シェーン!
 役目を終えたらシェーンのようにさっと去るのがヒーローでいるコツ。あまり長居するとボロが出て普通のおじさんに急降下しちゃいますからね。

◆あらすじ

 第二次大戦中のサン・フランシスコ。殺し屋のレイヴン(アラン・ラッド)は、依頼によりある薬剤師を拳銃で殺し、奪った手紙を依頼主の代理人のジョンソンという男(レアード・クリーガー)に渡す。ジョンソンから渡された殺しの報酬は全部番号が控えられた札だった。知らずにその札を使ったレイヴンは警察に追われる。
 ジョンソンは、実はロスアンゼルスのナイトクラブの経営者かつ、化学メーカー・ニトロケミカル社の重役で、本名はゲイツ。薬剤師は、ニトロケミカル社の裏ビジネスに関する情報を議員に手紙で知らせると会社を恐喝したために殺されたのだ。
 ゲイツがレイヴンに番号を控えた札を渡したのは、前もってニトロケミカル社の会計係を殺して金が強奪されたと工作し、その札をレイヴンに渡して彼を会計係殺しの犯人として警察に逮捕させようとしたからだ。レイヴンはその札の件で話をつけに彼の住むロスアンゼルスに向かうことにする。
 一方、ゲイツは芸人のオーディションでエレン(ヴェロニカ・レイク)という手品師を見て、ロスのクラブの出演契約をする。エレンは、芸能エージェントを通じて、殺された薬剤師が密告しようとしていた相手の議員に引き合わされ、ゲイツに国への裏切りの疑いがあると聞かされて、ゲイツの情報収集を請け負うことになる。
 ロスアンゼルスに向かう夜行列車の中で、エレンの隣の席にレイヴンが座り、同じ列車に乗り合わせたゲイツが、エレンとレイヴンが寄り添って眠っているのを見かけ、二人が知り合いではないかと疑う。駅に着いたとき、レイヴンは警察に追われていると明かしてエレンと夫婦を装って逃げる。エレンはゲイツとレイヴンに接点があることに気づく。ゲイツの自宅にディナーに呼ばれたエレンは、レイヴンの仲間と疑われて殺されそうになるが、レイヴンに助け出される。
 エレンの恋人はマイケル(ロバート・プレストン)という警部補だった。マイケルは、レイヴンがエレンを連れてガス工場に逃げ込んだことを突き止め、工場の操車場を包囲する。エレンは、議員に宛てた薬剤師の手紙に書かれていたのは毒ガスの化学式で、ニトロケミカル社が敵国の日本にそれを売り、ガスに加工して送ろうとしているとレイヴンに明かす。レイヴンはエレンを逃がし、警察の追跡を振り切ってニトロケミカル社の社長室に乗り込む・・・。

◆猫好きの殺し屋

 レイヴンが薬剤師殺しに出かける前、アパートの窓に1匹の黒白ハチワレの子猫が姿を見せます。いつもこうして通って来るのか、ベッドのサイドテーブルのところにミルクの缶が用意してあり、レイヴンは皿にミルクをあけて猫に飲ませてやります。
 そこにアパートの掃除人のアニーがやって来て掃除を始めようとすると、子猫がミルクの缶をテーブルから落としてしまいます。怒ったアニーが子猫を追い払うと、レイヴンはいきなりアニーをビンタ。アニーの服の肩のところをつかんで破いてしまいます。「新しい服を買ってよ!」と恐い顔でわめかれたレイヴンは、ジョンソンからお金を受け取ったあと、通りすがりの洋服屋で服を買うのですが、そこで使ったお札がもとで追われてしまうのです。
 アニーに追い払われた子猫にあらためてミルクをやるとき、猫が大きく映るのですが、このときは黒白ではなく、黒の中に縞模様が見えます。代役なのか、それまで小さく映っていたので縞模様が見えなかったのか?
 始まって2分ちょっとで登場するこの猫とは別に、後半、レイヴンとエレンが化学工場の操車場の小屋に隠れているときに茶トラのおとなの猫が登場します。レイヴンは「猫は幸運を招く」と言って膝に抱きよせ、優しくなでます。「猫が好きなのね」と言うエレンに、レイヴンは「猫は自立していて一人で生きられる」と、孤独な自分と猫を重ね合わせているかのように語ります。
 二人がそうして潜んでいると外で男の声がして、猫が鳴き声をあげ、緊張が走ります。とっさにコートを猫にかぶせ、静かになってから「猫を出してあげて」とエレンが言うと、レイヴンは「自分が殺した」と言います。鳴き声で見つからないよう絞め殺してしまったのでしょうか。「俺の運を殺した」と言うレイヴン。「ゆっくり休め。お前と一緒に過ごしたかった」と、悲しげにつぶやきます。彼は、自分をゆがませてしまった過去の心の傷をエレンに吐き出すように語り出すのです。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆再びグレアム・グリーン

 このブログで最初に取り上げた映画は『第三の男』(1949年/監督:キャロル・リード)。今回の映画の原作者も『第三の男』と同じグレアム・グリーンです。『第三の男』のとき、「名作なのに面白くない」と言いましたが、今回もやっぱりどこか似たところがあります。面白かった、スリルがあった、とスッと素直な反応が浮かんできません。
 サスペンスに不向きの私の頭のせいもあると思いますが、原作にあるたくさんの情報が、映画化するときに重みづけがされないまま、なんでもかんでも詰め込まれてしまったように感じます。面白い要素はたくさんあるので、よけいなセリフや人物を排し、ポイントごとのメリハリが利いていれば、と、ちょっと残念です。とは言え、「あらすじ」をまとめた私も、どこかを省略すると話がつながらなくなるので、結局どんどん詰め込むことになってしまいました。
 一度見てピンと来なかった人も、『第三の男』のように、わからないところを補うように何度か見ると、この映画の「悪くなさ」が見えてくると思います。

◆キメある男

 ヴェロニカ・レイクが最初にクレジットされているこの映画、冒頭の薬剤師殺しと、レイヴンとエレンの逃走劇、そして手品師エレンの芸が見どころ。
 子猫とアニーとのエピソードに描かれる、レイヴンのすぐカッとする乱暴な性格。薬剤師のアパートの階段に座っている脚の悪い女の子、薬剤師の部屋のソファに寝そべっているふしだらな感じの「秘書」、急にけたたましい音を立てる笛吹ケトル。二人を撃って去り際、再び階段で脚の悪い女の子に会い、顔を見られたからと鞄の銃に手を伸ばすレイヴン。スリリングな運びで滑り出しはなかなか。
 レイヴンとエレンが工場に逃げ込んでから操車場を脱出するまでの一連の場面は、『第三の男』の下水道の場面で見られたような、人工の構造物の美が生きています。暗いガス工場の複雑な内部機構、張り巡らされる配管、そこを脱した翌朝の操車場の陽射しの中、跨線橋を逃げるレイヴン。橋の上から下を走る列車に飛び移るという、現在の映画でもおなじみのアクションをアラン・ラッドがキレよく演じます。映画の中でたびたび気取った決めポーズを取るところが、かわいいような、ほほえましいような・・・。

◆巻き込まれる女

 ニトロケミカル社の陰謀を明かすキーパーソンとなるエレンとゲイツとの関りを持たせるために、ゲイツのナイトクラブに雇われ、しかも、議員から彼をスパイするように頼まれるという設定は強引ですが、エレンの存在こそ、この映画の醍醐味。
 オーディションで、カードマジックと共に歌い、お客をいじり、消えたと思えば現れる。ゲイツのナイトクラブのリハーサルの場面では、ぴったりしたボディスーツで金魚を使ったトリックを披露。歌は口パクなのか、カンニングペーパーに止まったままのような視線ですが、そんなのどうでもいい、ヴェロニカ・レイクの瞳に乾杯!
 実際、彼女は「忘れじの女優」として年配男性からいまも熱い支持を受けている、と聞いたことがあります。私が初めて見た彼女の映画は『奥様は魔女』(1942年/監督:ルネ・クレール)という、彼女の演じる魔女が人間の男性に押し掛け女房に来るという、なんとものほほんとしたコメディでしたが、彼女だったら魔女じゃなくても男はフラフラと魔法にかかったようになってしまうかも?
 トレードマークのブロンドの前髪を真似した女性が髪を兵器工場の機械に巻き込まれる事故があり、真似しないようヴェロニカ・レイクが髪を切ったら途端に人気が落ちた、という話もどこかで聞いたことがあるのですが、出所がつかめませんでした。事故があったのは事実のようですが、後半は都市伝説でしょうか。

◆謎の売国奴

 残念ながら、この物語の黒幕、母国を裏切るニトロケミカル社の巨悪ぶりがパッとしません。スタッフ・役者の実力がもろに見えてしまった部分です。特にまずいのは首謀者であるはずの社長。車椅子で、しょっちゅうミルクに何かを浸して食べている、という細かい設定がどんな背景を持つのかは不明。敵国に毒ガスを売る悪魔的な人物と言うより、病気のお年寄りにしか見えません。社長も、彼の秘書も、ゲイツの部下もおざなりな芝居で、この手の映画の役者と言ってしまえばそれまでですが、彼らがもう少し頑張ってくれればレイヴンの潜入劇ももっと盛り上がったのに。

 愛国のヒーローを演じたアラン・ラッドは一躍有名に。彼もヴェロニカ・レイクも小柄で、つり合いが取れるので『ガラスの鍵』(1942年/監督:スチュアート・ヘイスラー)、『青い戦慄』(1946年/監督:ジョージ・マーシャル)でもコンビで出演しています。
 中年以後は二人とも恵まれず、アラン・ラッドは1964年に50歳でアルコールと睡眠薬ののみすぎで、ヴェロニカ・レイクも過度の飲酒がもとで1973年に50代で亡くなったそうです。合掌。

 

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非常線の女

ズベ公と与太者のカップルの前に一人のしとやかな女が現れる。小津安二郎監督初期の異色サスペンス。


  製作:1933年
  製作国:日本
  日本公開:1933年
  監督:小津安二郎
  出演:田中絹代、岡譲二(のちの岡譲司)、水久保澄子、
     三井秀夫(注)(のちの三井弘次)、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    屋根の上の猫
  名前:なし
  色柄:黒


◆罪ある女

 犯罪映画に必ずと言っていいほど登場するのが冷たい女。その存在が犯罪のきっかけになったり、その女そのものが犯行をリードしたり。『深夜の告白』(1944年/監督:ビリー・ワイルダー)のバーバラ・スタンウィック、『三つ数えろ』(1944年/ハワード・ホークス)のいわくありげなローレン・バコール、『俺たちに明日はない』(1967年/監督:アーサー・ペン)のフェイ・ダナウェイなどなど、時には殺人にも眉一つ動かさない冷酷さでストーリーをビシッと締めます。
 が、『非常線の女』の田中絹代は、ふっくらもちもち、こけしのようなかわいらしさ。この映画は23歳のときの、今で言えばアイドル時代の絹代ちゃんです(とは言っても、この時すでに松竹の大スターだったのですが)。その彼女がキリッとコートの襟を立てピストルを構えるクールな姿。小津安二郎監督の初期の傾向の見られるサイレント作品。原作はゼームス・槇。小津監督のペンネームのひとつです。

◆あらすじ

 昭和初期の東京。タイピストの時子(田中絹代)は、勤務先の社長の息子から目をかけられ、個室に二人きりで呼び出されて高価な宝飾品をプレゼントにもらったりしていた。時子は彼に気を持たせていたが、実は襄二(岡譲二)という情人と遊び回っているズベ公だった。襄二は元ボクサーだったが、今は用心棒の裏稼業をする与太者。そんな襄二にボクシング練習生の宏(三井秀夫)が憧れ、学生でありながら彼の仲間に入れてもらって遊びを覚える。
 宏はレコード屋に勤める姉の和子(水久保澄子)と二人暮らしだったが、和子は秀夫が勉強もせず不真面目になったのを心配し、襄二を訪ねて弟を諭してくれるよう頼んだ。襄二は弟思いの和子に心を惹かれる。
 時子は、遊び仲間から和子の存在を知らされ、襄二を取られまいと和子を呼び出して話をつけようとしたが、和子の人柄に引き下がってしまう。
 時子は、襄二に二人でまともな生活を始めようと言うが、襄二は返事をしない。そこに和子が、宏が帰らないので行方を知らないかと訪ねてくる。襄二が和子を冷たく追い返したあと、宏が来て、姉のレコード屋のレジから金を盗んでしまったので金を貸してほしいと言ってきた。襄二は宏を追い払ったが、和子のためにお金を穴埋めしてやると心を決めた。時子が社長の息子を狙うことを提案し、二人はピストルを手に時子の会社に向かう・・・。

◆サイレントニャー

 さて、会社に向かった時子と襄二は、金庫でも開けさせるのかと思いきや、時子が社長の息子にピストルをつきつけ、財布を奪って中のお札を抜き取ります。社長の息子のセクハラを「会社でクビにならないおまじない」として利用していた時子。内心相当我慢していたのでしょう。会社には恨みはないが、こいつには仕返ししてやりたい、とターゲットを社長の息子に絞ったのだと思います。二人で高跳びするための大金までは奪わず、あくまで宏が盗んだレジの金額程度のお金しか取らないところなど、控えめな犯行。
 身許はわかっているので、警官がすぐに襄二と時子のヤサまでやってきます。二人は窓から屋根伝いに逃げ、そこで黒猫と遭遇。けれども、黒猫はほんのちょろっと通行するだけです。効果音のないサイレント作品に、映像でワンポイントの変化とアクセントを与える役。小津監督の作品には猫はあまり出てきませんので貴重な映像です。以前に紹介した『宗方姉妹』(1950年)に猫がたくさん出てきたのは、原作小説を書いた大佛次郎が猫好きだったからなのです。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆かわいい姐御

 小津安二郎監督のサイレント作品で一番親しまれているのは1932年の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』でしょう。東京近郊に家を建てたサラリーマン一家の父親が専務にペコペコし、みっともなくおどけているホームムービーを見せられた二人の息子が父に反抗する、笑いと涙の物語。誰もが子どもの頃に経験する親への失望、身過ぎ世過ぎのために馬鹿にならなければやっていけない大人の事情。家族と人生の哀歓をにじませた、小津監督らしい代表作です。
 対して『非常線の女』。始まって驚くのは、そのシュールな映像です。歩く男の影が伸びる舗道、柱時計、タイムレコーダー、帽子掛けにずらりと並ぶ中折れ帽、うち一つがポトッと落ちる・・・、前衛映画が始まったのかと思います。
 無機的なカットがこのようにして続いたあと、ニヤけた社長の息子が登場し、秘書に命じて時子を個室に呼び出させます。秘書もまた心得たり、と言わんばかりにほくそ笑み、一転して生々しい人間臭さが漂ってきます。
 小津監督の映画では『大学は出たけれど』(1929年)『落第はしたけれど』(1930年)など、けなげでしっかりした女性を着物姿で演じていた田中絹代が、ぴったりしたボーダーのセーターにシャツの白い襟をのぞかせ、腰の線もあらわなフレアースカートにハイヒールというスタイルで登場したのも、当時の観客をあっと言わせたのではないでしょうか。おまけに会社ではしおらしくしているものの、一歩会社を出れば「姐御」と呼ばれるズベ公なのですから! 社長の息子以外にも男を手玉に取って、お相手の襄二を食わせているようです。

◆和子の和

 襄二はアメリカのギャングと見まごう姿。時子と遊ぶのはダンスホール。ボクシングジムや町の看板は英語、襄二の部屋には(小津監督の映画でよくあるように)アメリカ映画のポスターや英語の落書き、宏がおぼえた遊びはビリヤード、と、徹底して日本的な風景や器物を排除したこの映画の中で、唯一、宵待草のようにひっそりと可憐な和服姿で現れるのが和子です。
 和子の初登場は、彼女の勤めるレコード屋。遊ぶための小遣いをせびりに宏がやって来ます。ここはおそらく輸入盤のクラシックレコードの専門店で、ビクターのマスコット・犬のニッパーちゃんの像があちこちに飾ってあります。そんな洋風の店内でも、和子は上っ張りの下に着物を着ています。時子との対比は明らかです。和子を演じる水久保澄子の少し寂しさをたたえた上目遣いの大きな目。この人のために何とかしなければ、と思わず一肌脱ぎたくなる憂い顔。
 この頃は『大学は出たけれど』『落第はしたけれど』で描かれたように、学歴があっても不況でなかなか職に就けないご時世で、日中戦争も始まり、学業に身が入らない宏のような学生も多かったのかもしれません。
 襄二は、和子に呼び出されて宏を諭すよう頼まれ、こんな姉を困らせる宏に腹が立つと同時に、和子に言いようのない気持ちを感じます。宏を殴り、和子のレコード屋に行って普段聴きもしないレコードを買って、部屋で一人聴き入るのです。

◆バターと醤油

 思わぬライバルの出現に、和子と話をつけようとした時子がピストルを突きつけるのは短絡的すぎると思いますが、和子に敗北を感じ「あんたが好きになっちゃった」と、和子のほっぺにチュッとして去る、というのも珍しい演出。
 和の美意識の中で日本の市民生活を穏やかに描いた後年の作品からは想像しにくいかもしれませんが、『非常線の女』だけでなく、1930年の『その夜の妻』(主役の八雲恵美子が和服でピストルを構える姿がきまっている!)など、初期の小津監督はアメリカ映画に傾倒していて「バタくさい」と言われていたそうです。
 けれども、時子は、モダンでクールな女になり得ません。自分とは正反対の和子の出現に自信が揺らぎ、自分も和子のような女になるからまともな生活をしようと、襄二を泣き落としにかかるのです。襄二は襄二で、一旦は和子を思い切ろうと彼女に冷たくし、時子の言葉を聞き入れたものの、宏の不始末を知ると一転、義侠心が頭をもたげ、時子とピストル強盗に飛び出します。
 美しい姉のチンピラな弟の不始末から、姉を助けるために金を用立てようと二人組が乗り出す、という話はどこかで・・・と思えば山中貞雄監督の時代劇映画『河内山宗俊』(こうちやまそうしゅん/1936年)。『非常線の女』は、アメリカナイズされた外見をまとっていながら、こうした人情話や、ダメ男に女性が耐える、という新派の芝居のような、日本らしいウエットな心性を中身とした物語なのです。

◆そのとき女は・・・

 時子と襄二はなぜ、顔も隠さず社長の息子を襲ったのか、そして財布の金しか奪わなかったのか。警官に追いつめられながら時子が襄二に語ることから、その理由がわかります。「つかまってやり直そうよ」。初めからそのつもりだった時子。微罪で服役して、数年後に出所したら一緒に出直そうと。それが聞き入れられなかったとき時子は・・・。
 ラストは、アメリカ的なのか、日本的なのか。私にはどちらでもなく、この時代の女性らしさのひとつの類型を描いたものと思えます。相手がどうしようもない男でも、ひたむきに愛を捧げるのが女、という・・・。

 時子の姿には、会社で働く女性が上司のセクハラを利用して自分と家族の生活の糧を得るが、しまいには犯罪にエスカレートし不良と言われて孤立する、という溝口健二監督の『浪華悲歌』(なにわえれじー/1936年)のヒロイン・村井アヤ子の先触れと言える部分も感じます。
 社会の矛盾を描き出す素材として、ヒロインをサディスティックなまでに追い詰めた溝口監督のリアリズムに対し、時子はあくまで小津監督好みの架空の物語世界のヒロインです。どちらがいい、というのでなく、二人の監督の女性観が見えるように思います。襄二の胸にすがる時子・田中絹代の泣き顔には、親が自分の子どもの写真をなるべくかわいく撮ろうとするような、小津監督の慈愛の眼差しを感じずにはいられません。もしかしたら自分の胸を貸したかったのかも・・・。


(注)『非常線の女』では「三井秀夫」とクレジットされていますが、「秀男」が正しいようです。この記事ではクレジットに合わせ「秀夫」と表記しました。

 

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危険がいっぱい

60~70年代の旗手・アラン・ドロンジェーン・フォンダによるスタイリッシュな恋愛サスペンス。

  製作:1964年
  製作国:フランス
  日本公開:1964年
  監督:ルネ・クレマン
  出演:アラン・ドロンジェーン・フォンダ、ローラ・オルブライト 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    隠れ住む男の猫
  名前:不明
  色柄:黒、長毛のキジトラ(モノクロのため推定)


泣く子も黙る

 20世紀を代表する美男スター、アラン・ドロン。彼ほど誰もが認めるカッコいい男はいま見当たらないのではないでしょうか。何のコマーシャルか忘れましたが「水谷豊さん、あなたのライバルは?」とインタビュアーが尋ねると「アラ~ン・ドロ~ンかな~」と若かりし水谷豊が答える、というものがありました。雲の上の存在のアラン・ドロンに対し、及びもつかない(失礼)水谷豊が臆面もなくライバル視している、というところがギャグになっていたわけです。ドロン自身が出てフランス語で語るアパレルメーカーのCMもありました。わがブログのイラスト担当・茜丸も、職場の机のところにアラン・ドロンの写真を貼って「明日はドロンになろう、明日はドロンになろう」と唱えていたとか。犯罪映画などで陰影のある役を演じ、男性からも憧れられていました。
 その彼が裸で海岸を走る映画『ショック療法』(1972年/監督:アラン・ジェシュア)が話題を呼んだことがありました。あちらの映画ですので、生まれたままの姿で・・・。伸び伸びと楽しそうな笑顔で走るその姿を大きく引き伸ばした、画質の荒い写真が週刊誌1ページ大で載っていたのを覚えています。

◆あらすじ

 美青年のマルク(アラン・ドロン)は、ニューヨークでギャングのボスの妻に手を出し、ボスの命令でフランスまでやって来たギャングの子分たちに追われることになる。彼は命からがらニース近くの救貧院に転がり込み、そこで食事提供の奉仕活動をしている大富豪の美しい未亡人バーバラ(ローラ・オルブライト)と、メリンダ(ジェーン・フォンダ)と出会う。バーバラはマルクを運転手として雇うことにし、お城のような大豪邸に連れて帰る。メリンダはバーバラのいとこで、召使のように彼女の食事などの世話をしていた。バーバラは無作法なマルクをさげすみ、パスポートまで取り上げてしまう。
 広大な屋敷にいるのはバーバラとメリンダとマルクの3人だけのはずだったが、マルクはほかの誰かが隠れ住んでいることに気づく。マルクはすきを見て怪しげな屋敷から逃げ出そうとするが、外に出れば出るでなおもギャングに追い回され、メリンダに連れ戻される。メリンダはマルクに恋していたが、マルクはいつしかバーバラと男と女の仲に。
 バーバラは2年前に夫を殺し、ほとぼりが冷めた頃に愛人のヴァンサン(オリビエ・デスパ)と南米に高跳びするつもりだった。屋敷に隠れているのはヴァンサンだった。マルクは、マルクのパスポートを奪ってヴァンサンがマルクになりすまし、国外に逃亡するために夫人に雇われたのだ。
 バーバラがマルクと関係を持ったのは、その計画が終わるまでマルクをつなぎ留めておくためだったが、いつの間にかマルクに惹かれ、ヴァンサンが邪魔になっていた。一方、メリンダはマルクとバーバラの関係を知り、二人を引き裂こうと架空の愛人を装ってバーバラに偽電報を打つ。マルクがそれを読み上げるのを聞き、激怒したのはヴァンサンだった。バーバラはヴァンサンに命を狙われ、マルクに助けを求めるが・・・。

◆猫と密着

 映画の中盤、マジックミラー越しにバーバラと話すヴァンサンが、黒猫を抱いています。彼がいるのは、バーバラの部屋の鏡の向こう側。クローゼットの奥に秘密の部屋への通路があるのですが、カメラがその通路を通って部屋に入る経路を追わないため、バーバラの部屋と隠し部屋が立体的にどのような位置関係にあるかはよくわかりません。ヴァンサンは2年間、猫を相手にそこに閉じ込もっているのです。この黒猫さん、ヴァンサンと共に何度か登場するのですが、最後に逃げる場面を除いて、どの場面でも妙に固まっておとなしい。映画出演であがっていたのではないと思いますが、動き回らないよう薬でも打たれていたのでは?
 ヴァンサンはもともとバーバラのスキー教師(典型的な有閑マダムの浮気パターンですね)。日焼けしたスポーツマンだった彼は、2年間のおこもり生活で青白く太ってしまったとのこと。コロナで外出自粛を経験した我々には大いに納得できる話ですが、それ以上に問題だった精神面のケアは? 黒猫は隠遁生活の友として与えられていたのですが、猫1匹で2年はちょっと・・・。刑務所もの映画だとネズミが時々遊びに来てくれたりするのですが、猫がいるんじゃ捕られちゃったりして。
 さて、この映画にはこの黒猫のほかにもう1匹、長毛のキジトラの子猫が出てきます。その話をしてしまうとこの映画のオチを語ってしまうことになるので、このへんで・・・。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆いっぱいいっぱい

 ルネ・クレマン監督とアラン・ドロンの組み合わせと言えば『太陽がいっぱい』(1960年)。若者の競争心、愚かさ、未熟な愛を描いた不朽の名作です。嫉妬と憎しみから金持ちのドラ息子を殺す主人公の青年を演じたアラン・ドロンは一躍スターに。邦題『危険がいっぱい』は、その『太陽がいっぱい』をもじったものでしょう。
 さて、そのいっぱいな危険ですが、見ていてあまりじわじわ来ないのです。
 アメリカのギャングに狙われる危険、バーバラの策略によって殺されそうな危険、そして小娘メリンダに追いかけられる危険、という三つの危険。ギャングに追われて恰好の隠れ場所となるお屋敷に潜り込め、やれやれと思ったにもかかわらず、パスポート目当てで殺されるという罠が仕掛けられていたわけですが、その「やれやれ」の前段階であるアメリカギャングとの攻防があまりスリリングではないのです。
 ホテルでの水責め、崖からの車の転落、水中アクション、交通渋滞からの逃亡など、目に訴えるサービスはたしかに盛られているのですが、報復として命を狙われているという恐怖が感じられません。ギャングのボスの命令は「マルクの首を取ってこい」。わざわざフランスまで子分が3人も出かけて行って、さすがに首を持って帰れないので、確かにマルクを殺したという証拠にマルクを襲っている写真を撮ったり、情事の告白をテープに録音したりと、モタモタ。さっさと殺して死体の写真を撮ればいいんじゃないかと思うのですけれど。
 ギャングたちもギャングの妻もアメリカ人に見えませんし、フランスにいるマルクとニューヨークとの接点も謎。ギャングの間抜けぶりで笑わせに行っているとも思えませんし、「ギャングの危険」の部分は失敗と言っていいのではないでしょうか。

◆第三の危険

 三つ目の危険がメリンダ。彼女は先の二つの危険に比べればかわいい感じです。救貧院でマルクを初めて見たときからマルクにときめいていたのですが、マルクは美しくセクシーで謎めいた未亡人バーバラに惹きつけられます。ニューヨークでギャングの妻に手を出したように、女遊びにたけたマルクは、バーバラに恋をしたというより次なる標的に巡り合った、というわけ。
 彼にしてみればメリンダなどガキっぽくって相手にする気はないのですが、若い娘の恋は一途。自分がマルクの眼中にないとわかると、マルクのコーヒーに睡眠薬を入れたり、バーバラ宛にニューヨークにいる愛人を装った電報を打ったり、バーバラへの腹いせなのかヴァンサンを下着姿で誘惑したり、と、思いつく限りの嫌がらせ。マルクが愛してくれなくても、せめていつも自分のそばにいてほしいという願望がふくらみ始めます。
 メリンダはしきりに自分がバーバラより魅力がない子どもだということを気にしています。ヨーロッパ、特にフランスでは若い女性にない中高年女性の成熟した魅力が賛美されるようなイメージがありますが、現実はどうなのでしょう。この映画に限って言えば、マルクとしてはバーバラは願ってもないカモで、真剣なメリンダは商売の邪魔。こいつに関わって道草を食うわけにはいかないと、なんとかかわしていくのですが、最後にどんでん返しが待っています。

◆スター その後

 ジェーン・フォンダは、名優ヘンリー・フォンダの娘、ピーター・フォンダの姉。特別美人というわけではありませんが、意志の強そうな瞳、抜群のプロポーション、一目見ると忘れられない個性です。
 『コールガール』(1971年/監督:アラン・J・パクラ)、父と共演した『黄昏』(1981年/監督:マーク・ライデル)での二度のアカデミー主演女優賞という、俳優としての活動に加え、60~70年代にはベトナム反戦運動でその名をとどろかせ、80年代になると、レオタードにレッグウォーマー姿で「ジェーン・フォンダのワークアウト」ビデオで一世を風靡など、アメリカ女性のアイコンと言うべき存在。彼女の出演した映画を年代順に追っていくと、20世紀後半からの女性の歴史が浮かび上がってくるように思います。
 2018年の『また、あなたとブッククラブで』(監督:ビル:ホールダーマン)で、「春」を取り戻す高齢女性の役で、キャンディス・バーゲンダイアン・キートンらと共演していますが、彼女が一番変わってない印象。現在も環境問題や女性の権利についての発信を続けているそうです。

 そんな彼女がセクシー路線で売っていた時期があります。1968年の『バーバレラ』(監督:ロジェ・ヴァディム)のスチル写真を見た子どもの私は、美ボディからしばし目が離せませんでした。監督のロジェ・ヴァディム(2000年没)は、映画界名うてのプレイボーイ。ジェーンのセクシー路線の時代、彼女の夫だったのですが、妻を性的シンボルとして世に出す男って・・・。ジェーン・フォンダ以外に、ブリジット・バルドーと結婚していたこともあり、カトリーヌ・ドヌーヴとの間に子どもをもうけ、平行恋愛も多数と聞いています。この三人から表立って悪口は言われていないようなのですが、今の時代だったらどうだったのか?

 アラン・ドロンは今年・2022年の誕生日で87歳、ジェーン・フォンダは85歳。ドロンは今年になって安楽死を希望したというニュースが流れています。


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